菅官房長官が、「河野談話が強制連行を確認できないという中で作られたにも関わらず、記者会見で(強制連行を)認めたことは大きな問題だ」(10月24日、衆院内閣委員会)と、談話そのものは継承するとしつつも、河野記者会見の批判に踏み込んだのは正しい方向への重要な一歩だ。手順として理解でき、また評価もできる。
ただ、続いて「客観的資料に基づいて正しい歴史認識が構成されるように、日本の名誉信頼回復を図るべく、それぞれに国に対してしっかりと広報活動を行っている」と述べたのは、「行いたい」ないし「行わねばならない」の間違いではないか。
広報活動を主に担う外務省の姿勢はいまだ、①繰り返し謝罪してきました、②アジア女性基金で金銭補償も提供してきました、の2点を中心とする「逃げの反論」の域を充分出ていない。
クマラスワミ報告の「一部撤回」、すなわち吉田証言に基づく強制連行記述を削除するよう、同省の佐藤女性人権人道担当大使がクマラスワミ氏に直接求めた(10月14日)とされる点も、かえって、報告書のその他の部分、なかんずく性奴隷として凄惨な虐待を加えた云々の部分は黙認したと取られないか危惧される。及び腰の中途半端な抗議は、将来に禍根を残すことになろう。
「強制連行」だけでなく、「性奴隷」「虐待」についても、「客観的資料に基づいて正しい歴史認識が構成されるように」明確に反論していかねばならない。