公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2015.07.13 (月) 印刷する

第二次上海事変と歴史戦 島田洋一(福井県立大学教授)

 平和を愛する中国社会に対し、日本が「これでもか、これでもかと侵略戦争をやった」(五百旗頭真前防大校長)といった単純かつ誤った認識を歴史学者が唱えているようでは、またそうした人を首相が外交ブレーンとして重用しているようでは(福田康夫内閣を指す)、日本は中国との歴史戦に勝つ、どころか互角に戦うこともできない。常に意識しておくべきいくつかの史実がある。その一つが第二次上海事変に関する者である。
 北村稔、林思雲『日中戦争』(PHP、2008年)から引いておきたい。執筆したのは中国人学者(南京大学卒)の林氏である。

 《……中国人から見ると、このように片方だけに戦争責任を求める論法には傲慢さが含まれている。すなわち、日本を日中戦争の主導者と見なし、日本が戦争を拡大しようと思えば拡大でき、拡大させまいと思えば拡大させぬことができたのであり、戦争の方向は日本の意思でコントロールできたというものであるが、自発的に戦おうとした中国人の意思が軽視されている。このような見方は、当時の実情に符合しない。
 実際には当時の日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう。事実として、日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた5000人あまりの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)。日中戦争が拡大した真の原因を言うとすれば、それは世論に煽動された双方の民衆の仇敵意識であると言わねばならない》

 村山談話より、はるかにバランスの取れた見方と言えよう。