公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2015.10.23 (金) 印刷する

太子党の重鎮で習近平の友・劉亜州 佐藤守(国基研評議員・元空将)

 新聞報道について一言。
 23日の産経新聞は、中国人民解放軍の劉亜州上将が、共産党機関紙、人民日報が運営する人民ネットなどで日中関係に関して「中国は武力衝突を極力避けるべきだ」と主張した論文を「習政権対日強硬策改める?」と書いた。
 彼は1952年10月、山西省太原市生まれ。1970年に中国共産党に入党し、1984年には中国作家協会に加入した“小説家”とされるが、1986年にスタンフォード大学に客員研究員として1年間在籍、1993年に空軍上校、3年後に空軍少将、その後とんとん拍子に昇進して2012年には空軍上将(大将)に上り詰めた特異な経歴を持つ。
 2005年秋、日中安保対話で上海に出向いた折、夕食会の席上で空軍パイロットOBに彼のことを尋ねると「情報班員で小説家」というだけで、軍事的素養については笑い飛ばされたことを思い出す。生粋の軍人の眼から見れば“素人”に見えたのだろう。彼は軍事小説を多数執筆しているそうだが、その後「対日融和政策」など、日本との友好や平和樹立を求める意見に対して徹底した批判を加え抗日運動を起こすようにネットで呼びかけるなど、対日強硬派として一躍有名になったが今や習主席の後ろ盾である。
 中国共産党政権の歴史は「腐敗と堕落」にまみれていて、文革で失脚した“元老”萬里は談話録「基本となる政治倫理を打ち立てよ(2009年)」で、「共産党は合法性に欠け、反逆性、野蛮性、不誠実性、狡猾性、傲慢性、偽計性、残虐性、悪しき常習性が蔓延っている。独裁体制を放棄して政治の民主化を推進せよ」と厳しく指摘したが無視された。萬里は山西省出身だが、劉亜州の父劉建徳も同じ山西省出身である。2008年の北京五輪を大成功と捉えた共産党政権はその後がむしゃらに「大国外交」を繰り広げたが、外交行動は必ずしも統一されておらず、経済繁栄に目がくらんだ外交、商務などの部門間でレアアースをめぐる意見の対立が起きたが輸出制限政策が失敗するや軍部の不満は高まった。
 そこに尖閣で日本の巡視船に中国漁船が衝突する事件が起き、日本の世論が硬化すると、日本政府は「尖閣は日本固有の領土である」と宣言した。これは鄧小平の「尖閣棚上げ論」を否定するものだったから軍部にとっては屈辱以外の何物でもなかった。そこで劉亜州、羅援など対日強硬派軍人による“口撃”が展開されたが、本気ではなかった。

〇現在の中国の戦略正面は南シナ海
 中国の海洋戦略は、第1、第2列島線が示しているように、段階的に西(南)方から侵略してくる。その根源は1992年2月25日に中国が勝手に制定した「領海法」にあるが、宮沢首相は小和田外務次官に駐日大使を呼ばせて「口頭抗議」しただけで済ませた。フィリピンからの米軍撤退を見計らっていた中国はただちに南シナ海に進出し、制空権を確保するためにサンゴ礁を埋め立てて空軍基地を造成しつつある。
 基地が完成すれば、わがシーレーンはその監視下に入りタンカーは随時中国海軍の臨検を受ける公算が高いが、国民はマンションの“杭”の方が気になるらしい。しかし南シナ海を呑みこんだ「中国の赤い舌」はただちに尖閣に延びてくる。これを放置すれば永遠に“悔い”を残すことになるだろう。劉亜州上将の「武力回避論文」に惑わされてはならないのだ。