安倍晋三総理がタイムスケジュールまで示して、憲法改正が加速するかに見えましたが、東京都議選で自民党が大敗して以後、この段取りが怪しくなってきました。
私は6月7日付と15日付の「ろんだん」欄で、繰り返し総理の「加憲」案には反対してきましたが、憲法改正を1日も早く実現してほしいという点では同じであり、安倍総理には何とかして態勢を立て直して改憲を実現してもらいたいと思っています。
●「象徴」は、元首の機能を表す表現
ところで今回は、改憲とは直接関係がないかもしれませんが(全面改正ならば当然関係あり)、象徴について述べたいと思います。というのも、象徴天皇制といいながら、天皇は元首であると明言する者が少ないからです。天皇は元首ではないという憲法学者も多いのです。それでは何なのか。「象徴」という国家機関なのでしょうか。
「象徴」というのは、元首の機能を表している表現なのです。「美しい花がある。花の美しさという様なものはない」という言葉があります。天皇は日本国の象徴ではありますが、「象徴」というような国家機関は存在しないのです。元首であるから日本国の象徴なのです。
「鳩は平和の象徴である」「国旗(日の丸)は日本国の象徴である」という言い方を見ても、「象徴」という言葉は、述語部分にしか使わないのです。
もちろん、天皇は、憲法上の元首である以上の存在であり、そういう存在の機能として日本国民統合の象徴であるということは間違いではありませんが、どこの国でも、元首はその国の象徴です。特に君主はそうです。
選挙で選ばれた大統領の場合には、その国の象徴であるということと、国家機関としての元首の機能としての象徴とはほぼ同じです。しかし、国王など君主が、その国の象徴であるという時には、国家機関としての元首の機能としての象徴より、もう少し意味が広いでしょう。特に天皇は、元首という国家機関としての象徴以上の存在であることは明らかですが、今は憲法上の機関としての話をしているのです。
●元首であることに何の問題もなし
したがって、例えば昨年8月の、象徴としてのお務めについての陛下のお言葉にしても、象徴としての「地位」を逸脱しているかどうかという議論もありましたが、おかしいのです。憲法に定められた天皇の「権能」を逸脱しているかどうかなのです。(私は「逸脱している」と言っているわけではありません。)
マッカーサーが示した憲法改正3原則の第1に、天皇は国家の元首の地位にあり、皇位は世襲され、天皇の職務および権能は憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする、とあり、元首であることに何の問題もないのです。
私は以前、旧民社党関係の憲法研究会で、天皇を元首であると明文化すべきかどうかの議論がなされた時、国民全体が、天皇が元首であることに何の異論が出ない状態であれば、そのような明文の規定は必要ないが、異論がある場合には、明文で定めるべきであると主張したことがあります。今でも同様に思っています。