公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2017.09.04 (月) 印刷する

リー将軍と西郷さんの銅像に思うこと 斎藤禎(国基研理事)

 外国理解の難しさは今に始まったことではないが、アメリカ南北戦争の南軍の英雄リー将軍の銅像撤去をめぐるバージニア州シャーロッツビルでの衝突事件を報じる日本の新聞、あるいは知米家といわれる人々の論評を見ると、首をかしげざるを得ない。
 白人至上主義や今なお残る人種差別への言及、あるいは暴力を振るう双方どちらも悪いとツイートしたトランプ大統領への批判などがその大半だが、しかし、そんな論評は、あまりに当たり前すぎはしまいか。
 20世紀を代表するアメリカの文芸評論家にエドマンド・ウイルソン(1895~1972年)がいる。江藤淳は最初のアメリカ留学時代(1962~1964年)にウイルソンを発見し、その後の文芸活動に大きな影響を受けた。江藤は、ウイルソンのことを日本の作家・評論家に例えれば、小林秀雄と中野重治を足して2で割った存在と評している。

 ●通り一遍のメディア解説
 ウイルソンには、『愛国の血糊』(1962年)という評論がある。中村紘一氏の手によって1998年に全訳がなされたが、日本語にして8ポ2段組み568ページという浩瀚な書で、「南北戦争の記録とアメリカの精神」という副題がついている。リンカーンはもとよりストウ夫人(『アンクル・トムの小屋』の著者)、北軍のグラント、シャーマン両将軍、南軍のリー将軍らの回顧録など膨大な資料から南北戦争がアメリカ人に与えた影響を探ったものだが、この書を読めば、シャーロッツビル事件に関しての日本のメディアや知米家の解説など、通り一遍のものでしかないということが明々白々だ。
 ウイルソンは言う。「奴隷を解放するために戦ったという神話は、南部以外のいたるところでアメリカ人一般の心の中で、固く信じられている。もちろん、南部諸州の奴隷制は、多くの人たちによって当惑すべきものであった。しかし、その他の多くの人たちは、南部のみならず北部においても、奴隷制をまったく是認していたのである」
 さらにウイルソンは、「南部の合衆国からの脱退に反対し、奴隷制を認めなかったリー将軍のような南部人が、どれほどすんなりと脱退と奴隷制という両方の目的のために徹底して戦う気になったか、以下のページで明らかにされるであろう」と書く。

 ●滅びようとも最善尽くす義務
 リー将軍は、4年の間、北軍との激しい戦闘を指揮した。降伏の数日前、リー将軍は同僚の将軍に、「巨大連合を敵にまわして、独立を達成できるなどと私は信じたことがなかった。しかし、そんなことは私に何の影響もなかった。われわれには、主張すべき主義があり、守るべき権利があったことに私は満足した。と語ったという。(傍点は引用者)
 リンカーンの盟友だったチャールズ・フランシス・アダムズ(弁護士・外交官・作家)は、こうしたリー将軍の言行に感動し、シャーロッツビルどころか首都ワシントンにその銅像を建てるよう大統領に献策さえしている。
 江藤は、最晩年の1998年、『南洲残影』を上梓したが、薩軍の挙兵の際の西郷の心境を次のように述べる。
 「この『無謀』が、単に薩軍の『剽悍』のみに帰せられる種類の事柄だろうか。日露開戦の時がそうであり、日米開戦の時も同じだった。勝った戦いが義戦で、敗北に終った戦いは不義の戦いだと分類してみても、戦端を開かねばならなかったときの切羽詰った心情を、今更その儘に喚起できるものでもない」(傍点は引用者)

 ●一方は敬愛され一方は破壊
 江藤の不朽の名作『アメリカと私』(1965年)にはウイルソンを読み込んだ痕跡が見受けられるが、『南洲残影』のこの一節を書いた江藤の脳裏にも、“私情”を重んずるウイルソンの筆致が浮かんでいたに違いない。
 一方の賊軍の将、西郷の銅像は愛犬とともに人々の敬愛を受けて上野の森に鎮座し、他方の賊軍の将、リー将軍の銅像は愛馬とともに今まさにシャーロッツビルで打ち壊されようとしている。彼我の安直な比較は許されるべきではないが、2つの銅像の運命は私にとって興味深い。