公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

2017.10.02 (月) 印刷する

「戦後」の前に「占領」があった 斎藤禎(国基研理事)

 国基研恒例の「月例研究会」が9月27日にあった(東京・イイノホール)。「トランプ政権と北朝鮮問題」が主たるテーマだったが、櫻井よしこ理事長、島田洋一企画委員と並んで壇上に立った田久保忠衛副理事長が、「みなさん、マッカーサー・ノートという傲岸不遜なメモがかつて存在し、そこには、自衛のための軍事力さえ日本に持たせてはならないとあったのですよ」と発言すると、場内には、静かなどよめきが広がった。

 ●「敗戦」と「終戦」を混同するな
 佐伯啓思氏は、その著『従属国家論』で、戦後がいつ始まったのかという点をきちんと自覚することが如何に大切かという点を詳述している。そして、「日本の戦争が終わったのは1952年のことです」と説いた。
 言うまでもなく1952年とは、サンフランシスコ講和条約が発効した時である。たとえ、ソ連や中国などが参加していない片面講和であっても、1952年4月28日に発効した講和条約によって、日本は正式に戦争を終結し、国際社会に復帰した。では、戦争に負けた1945年8月15日からこの日までの6年8カ月余り、日本がどういう状態だったかといえば、ポツダム宣言を受諾し、アメリカを中心とする占領軍の占領下にあった。田久保副理事長の言うマッカーサー・ノートも占領期だからこそ、その存在が許された。
 佐伯氏は、1945年8月15日(あるいはミズーリ号上の降伏調印日の9月2日)を「敗戦の日」とし、1952年4月28日を「終戦の日」と呼んだほうが正確な歴史認識につながることになると強調する。

 ●虚妄はびこらせた占領期の検閲
 江藤淳は、『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』の中で、通説によれば、日本は1945年8月の敗戦と同時に、占領軍から「言論の自由」を与えられたことになっているが、それはとんでもない暴論であり、実際は、占領軍の検閲によって自由な言論はことごとく封殺され、現行憲法が占領軍によって起草された事実も徹底的な検閲によって隠蔽されていたと書いた。
 左翼どころか、保守派の論客の無視、冷笑にも抗しつつ、江藤は、占領軍の検閲が戦後一貫して日本の言語空間を制限してきたと説き続けた。江藤の説に従えば、現行憲法を墨守するリベラル陣営にいまだ大きな影響をもつ宮沢俊義の転向声明である『八月革命と国民主権主義』も丸山眞男の『超国家主義の論理と心理』(ともに1946年発表)も、もちろん占領軍の検閲を通ったものだったが、いや通ったどころか、占領軍の検閲にこちらから迎合していった占領軍のための優等生的な論文だったということになる。
 朝日新聞をはじめとするリベラル系のメディアも、戦後は1945年8月に始まり、この時を期して、日本は軍国主義という暗黒時代から一挙に解き放たれたと説いてきたが、江藤や佐伯氏の書、篠田英朗氏の労作『ほんとうの憲法』や『集団的自衛権の思想史』などによれば、占領期への我々の認識の甘いところに、そうした虚妄がはびこる原因があったことがたちどころに理解される。

 ●憲法改正の論議が国の将来決める
 迂遠なようでも、占領期への関心を深めることから始めよう。そうすれば、冷戦構造が終わったにもかかわらず、いまだに「憲法9条」と「日米安保」があれば日本の安全は大丈夫だとする自民党の一部と野党の大半に存在する虚論は成り立たなくなる。
 時代は確実に変わっている。“アメリカ・ファースト”のトランプ政権が出現し、北朝鮮の核ミサイル開発が進んでいるのに、“モリカケ”問題や消費税を総選挙の争点にしている場合ではなかろう。憲法改正への議論を喚起していくことこそが日本の将来を決定する。
 佐伯氏の顰に倣って、8月15日を「敗戦記念日」、4月28日を「終戦記念日」と呼んでみたらいい。8月15日には国に命を捧げた戦没者を悼み、4月28日には占領から独立したことを寿ぐ日として想起する、そういった思考転換が、日本の安全と平和を守る道につながる。