今年の新聞週間の標語は、「新聞で見分けるフェイク知るファクト」だったそうだが、せんだっての日曜日、福田恆存を読んでいたら、氏の新聞批判にぶつかった。
「毎朝、毎晩、ああいふものを読んでゐたのでは精神衛生上、頗る有害である。予防医学的見地から言へば、新聞と称するものを一切読まぬことをお薦めする。それでも一向日常生活に支障を来さない。たとへ日本の政治、社会に関する重要問題について、考慮に値する正確な報道、解説が出てゐたとしても、それ程のものには月に一回位しか出遭はぬであらうし、たとへそれを読んだとしても、それ等は吾吾一般市民にはどうにも手に負へぬ事柄でしかない」
「新聞への最後通牒」
『諸君!』昭和49年11月号
「今新聞は佐藤政権打倒に力を入れてゐますが、これはかつて吉田茂を首相の座から引きずり下したのと同じ姿勢です。国民が吉田さんにあきてゐるわけでもないのに、『吉田は国民にあきられた』とさんざん書き立てた。それにあの頃の吉田さんは、アメリカに対して『イエス・マン』だと言はれてゐました。ところが、私は吉田さんがやめる直前アメリカへ行つたのですが、国務省に勤めてゐる五六人の役人と会食したとき、吉田さんの評判の悪いことと言つたらない。『とにかく、あれほどアメリカの言ふことをきかん男はない』と言ふわけです」
「新聞における『甘えの構造』」
『文藝春秋』昭和47年6月号
公平装い「結論」押しつけ
「新聞には(略)いつでも自分のいい結論にもつて行かうとする性格があります。そのよい例が横井庄一さんが帰つてきた時の羽田での記者会見でせう。新聞はあのとき、たとへ一人の日本人にせよ二十八年間も悲惨な生活をさせたのは戦争が悪いのだ、戦陣訓が悪いのだ、といふ結論に持つて行かうとしてゐた。ところが実際横井さんに会つてみると、横井さんはちつともこれに乗つてこない。記者は(略)あわてて『戦争はいやですね』といふ誘導質問をしましたが、横井さんは『私は天皇陛下の写真がつまらない雑誌に出てゐるのは望ましくないと思ふ』と、さらに新聞があわてるやうなことを言ひました。あれは全く一幕の喜劇でした」
(同上)
「新聞は論説などでは、かならず双方を公平に批判しますが、その場合『警察も行きすぎだが学生も悪い』とは書かない。『学生も悪いが警官も行きすぎだ』と書く。一見、公平のやうだが、この言ひ方ではあとの文章が主文ですから、警官の方が、より悪いことになります。「審議拒否も悪いが、強行採決は許せない」と言ふのと同じ手です」
(同上)
首尾一貫しない「反米論」
「『反米』は、(略)アメリカは日本を見捨てない、いくら楯突いても大丈夫だといふ安心感があるだけに、なほのこと、抽象的感情的な反米思想が新聞論調の上で続くのです。しかし、この『反米』がむづかしいのは、あまりやりすぎて完全に手が切れたら、日本は核をもち、軍国主義化しやしないか、かうした不安が一方であるわけです。で、新聞はあまり首尾一貫した反米、対外強硬論はとれないからいきほひ煮え切らなくなる。六〇年安保の時の廻れ右もさうだし、七〇年安保の時の自動延長もさうでせう。しかしこれからの日米関係はさう甘いものではない」
(同上)
福田氏ほど文芸批評家として、劇作家、演出家として、新聞の持つ能天気で呆れた体質を語った人はいない。引用ばかりで「国基研ろんだん」を閉じるのは不謹慎なことだが、『福田恆存全集』を読み続けることを誓って、泉下の福田氏にお詫びしたい。福田氏の新聞論は、発表後40年余を過ぎても、新聞人の肺腑をついてやむことはないのである。