公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2018.04.09 (月) 印刷する

放送法の改正反対論への疑問 髙池勝彦(弁護士)

 政府が、放送法を改正して第4条第1項の撤廃を検討しているとのことである。結論から言うと、私はこの条項は残しておくべきであると思うが、一部マスコミなどに見られる撤廃反対論とは一線を画しておきたい。以下その理由を述べる。

 ●留意すべき占領下の法制定
 まず、放送法4条1項の条文は次のとおりである。

放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 放送法は占領下の昭和25年に制定された。この4条1項は、占領軍の指示で、連合国及び占領軍の利益の保護の観点から作られたものであり、憲法21条の表現の自由とは両立できないものだといわれている。特に罰則は設けられていないが、電波法76条と放送法174条との関係が問題となる。特に問題となるのは政治的公平さである。
 放送法174条は「総務大臣は、放送事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、3月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる」と定めている。電波法76条は長いので引用は省略するが、同じ趣旨で無線局の運用停止などを定めている。放送法174条は一般のテレビ局には適用されないので、一般のテレビ局では電波法76条の適用が問題となる。

 ●偏向報道は放置していいのか
 平成28年2月8日、当時の高市早苗総務大臣が、政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には電波停止を命ずる可能性がある旨言及したことに対し、主として左翼系マスコミや論者から非難が殺到した。ただし、高市氏は電波停止という言葉を使ったことは一度もないと主張している。
 左翼系マスコミや論者の主張には、「マスコミに政治的公平さなどそもそも必要ない」というものから、公平性を主張することによって「あしき中立の広がりが心配」というものまで様々であるが、総じて、政治的公平性をあまり問題にすべきではないという主張のように感じられた。
 加計学園問題で前川喜平前文科省事務次官と加戸守行前愛媛県知事が国会で証言した際、多くのマスコミが、「行政がゆがめられた」と主張する前川発言を圧倒的分量で報じ、加戸氏の発言をほとんど紹介しなかったことが、公平かどうか問題となった。
 NHKと民間放送で組織される放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、平成30年2月7日、放送法4条の規定は倫理規定であり、「量的公平性ではなく、質的公平性」が重要だとの意見書を公表した。これは、量的公平性にあまりこだわるべきではないとの意見である。
 米国のカリフォルニア大学アーバイン校のデービッド・ケイ教授は平成29年4月、国連特別報告者として「日本の表現の自由」の調査のために来日し、わずか1週間の滞在で、放送法4条は撤廃すべきであるなどとする意見を述べた。「日本の報道の自由は政府の抑圧によって脅威にさらされている」というのが理由だった。

 ●ご都合主義のメディア論評
 政府は今回、規制緩和の観点から、その放送法4条を撤廃しようというのである。形の上ではまさにケイ教授の指摘に沿っている。ところが、撤廃検討の報道がなされるや、マスコミは一斉に反対を表明した。東京新聞などは、「放送の内容規制を全廃すれば、党派的な番組やフェイクニュース、差別的なヘイトスピーチなどが出回る可能性がある」というのである。
 私は、このマスコミの反応を見て、教科書検定についてのマスコミの論評の変遷を思い浮かべた。昭和40年代のいわゆる「家永裁判」がそれである。当時、東京教育大学教授だった家永三郎氏が、自分の執筆した教科書を文部省(当時)が検定したことは憲法違反であると訴えた訴訟だ。
 多くのマスコミは家永氏を支持し、教科書検定制度には批判的であった。ところが、20年前、「新しい歴史教科書をつくる会」が、新しい歴史教科書を作って検定を通過すると、この教科書は戦争を賛美しているなどと批判し、検定が甘いかのような批判をした。今では検定制度を廃止せよなどの主張は影を潜めている。
 冒頭述べたように、私は、放送法4条1項については残しておくべきだとの考えだ。ただし、単なる倫理規定ではなく、公平な審査機関を設け、過度に偏向した放送については、しかるべき措置をとるべきであると思う。表現の自由との関係から、基準を厳格にし過ぎないことはもちろんである。