公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

2018.06.06 (水) 印刷する

ソン・キム氏起用の危うさ 島田洋一(福井県立大学教授)

 6月5日の産経新聞「正論」欄に、古川勝久氏(国連安保理専門家パネル元委員)が次のように書いていた。
 ≪米朝首脳会談が6月12日にシンガポールで開催されることが決まった。その議題をめぐる米朝実務レベル協議に、かつて対北朝鮮交渉の責務を担っていたソン・キム大使が米側交渉団の代表として参加した。現在、フィリピン大使の同氏は赴任先から急遽、北朝鮮との交渉のためソウルに呼び出されたようだ。
 首脳会談開催予定日の約2週間前になって、ようやく本格的な対北交渉経験者が米側交渉団に参加したわけだ。トランプ政権内では北朝鮮政策を担当する関連組織で北朝鮮と渡り合った経験を有する唯一の人物である。トランプ政権の対北朝鮮折衝にやっと一筋の光が差し込んできたともいえる。いまさら感は否めないが-。≫

 ●必要なのは核兵器の専門家
 これは評価の次元で、私とは大いに認識が異なる。ジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)は就任前の「ラジオ自由アジア」とのインタビューで、「我々が真に必要とする種類の専門家は、北朝鮮のというより核兵器の専門家だ」と述べている。
 完全非核化を達成した2003年のリビアとの詰めの協議では、まさに不拡散戦略担当のロバート・ジョゼフ国家安全保障会議(NSC)上級部長(当時)が交渉団を率いた。ジョゼフ氏は、当時、軍備管理・国際安全保障担当の国務次官だったボルトン氏の盟友で、ハードライナーとして知られた人物だった。国務省からは「筆記係」(note taker)を最終段階で参加させたのみだった。
 今後の米朝関係の行方は、米政府部内の主導権争いの行方に掛かっている。すなわち、圧力強化で北朝鮮の体制転換を目指すボルトン派と、妥協による「平和共存」を目指す国務省派のどちらにトランプ大統領が軍配を上げるかである。
 ボルトン派は5月末、私の知友で冷静なハードライナーとして知られるフレッド・フライツ氏をボルトン氏の首席補佐官兼NSC事務局長としてホワイトハウスに入れることに成功した。

 ●主導権の奪回狙う国務省派
 フライツ氏は、約25年間、米中央情報局(CIA)の分析部門で働いた後、ブッシュ(子)政権で、ボルトン国務次官の首席補佐官を務め、ボルトン氏が国連大使に転じて後は、後任の国務次官となったジョゼフ氏の下でやはり首席補佐官を務めた。まさに大量破壊兵器の拡散問題に知識、実務両面で通じた専門家である。日本人拉致問題にも精通している。
 日本にとっては、ボルトン・フライツのラインで北朝鮮問題を仕切る体制が最も望ましいだろう。
 一方、国務省の側は、2国間の実務者協議は当該地域担当の国務次官補が交渉団長を務めるという通例を盾に、主導権を握るべく、組織を上げて攻勢に出てくるだろう。
 その攻勢の第1は、ポンペオ国務長官の取り込みである。ポンペオ長官は「強硬派」とされているが、どこまで筋を通す人物なのかまだ分からない。

 ●ライス・ヒル時代の悪夢
 第2は、現在、空席の東アジア・太平洋担当の国務次官補ポストを早急に国務省系の人物によって埋めることである。
 このポストについては、ティラーソン前国務長官が国務省生え抜きのキャリア外交官スーザン・ソーントン氏を指名し、2月に上院での承認公聴会も開かれたが、その後の手続きが滞っている。与党側の有力者マーコ・ルビオ上院議員らが、ソーントン氏は親中派であり不適格だと難色を示しており、承認の目処が立たない状況である。
 ソーントン氏を降ろして代わりにソン・キム氏を、というのが国務省側の1つのシナリオとなろう。ソン・キム氏は温厚な紳士で(クリストファー・ヒル氏もそうだった)、経歴に特に傷もない。
 ボルトン派は、NSCアジア上級部長でハードライナーのマット・ポティンジャー氏を推しているとも言われるが、人事の帰趨は最終的にはトランプ大統領とポンペオ長官にかかっている。
 ソン・キムの交渉係起用は、ブッシュ大統領が政権末期の対北朝鮮政策をライス国務長官、ヒル国務次官補(いずれも当時)のコンビに委ね、とめどなく宥和政策に転落していった悪夢の再現にならないか。少なくとも、「一筋の光」と見る古川氏の評価には同意できない。