公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2018.06.04 (月) 印刷する

運用実態の注視欠かせぬ司法取引 髙池勝彦(弁護士)

 この6月1日から、刑事裁判において、司法取引制度が導入されたことが、新聞テレビなどで一斉に報道された。私は、刑事事件が専門ではないし、まだ経験はないが制度の狙いや見通しについて述べることにする。
 今回の司法取引は、他人の犯罪を捜査機関に明かす見返りに、不起訴や求刑を軽くしてもらう制度である。アメリカでは、容疑者が自分の犯罪を認めて罰を軽くしてもらう「有罪答弁」の取引が中心であるが、今回の司法取引は、他人の犯罪捜査に協力した場合に限り認められるものである。朝日新聞が、「他人の罪明かせば罰軽減」との見出しで解説しているのは正しい。
 今回の司法取引は、平成28年の刑事訴訟法の改正として、「第2編 第4章 証拠収集等への協力及び訴追に関する合意」として、14か条の条文(第350条の2ないし15)が追加されたものである。
 対象は、特定の財政経済犯罪及び薬物銃器犯罪に限り、検察官と、被疑者・被告人とが、その弁護人の同意を得て、共犯者など他人の刑事事件について証拠提出など協力行為を行い、その見返りとして、その被疑者・被告人を不起訴にしたり、軽い求刑をしたりするという合意をするものである。

 ●捜査の便宜のための制度
 アメリカでも日本でもなぜ司法取引が認められるのか、要するに、簡単に犯罪や犯人を捕まえられるという捜査機関の便宜のための制度である。
 捜査機関の便宜のための制度であるというと、反権力を標榜する向きからは、すぐに冤罪多発などの非難がなされる。したがって、「司法取引 もろ刃の剣」(読売新聞)などの見出しが使われる。しかし、捜査機関の便宜のための制度であるというだけでは制度としておかしいとは言えない。
 社会制度が複雑化し、人々の間の関係が希薄になると、中々犯罪が行われても発見されにくくなったり、摘発されにくくなったりする。近年、犯罪の検挙されない割合が以前よりも増えているのではないかという印象を私などは持っている。犯罪が摘発されにくい社会は、社会不安を起こすことになる。
 たとえば、近年、殺人や誘拐などで摘発されるのは、防犯カメラの解析によるものが多いが、防犯カメラの導入については、プライバシーの侵害であるという批判を弁護士会などが当初(今でも)主張していたが、防犯カメラが導入されていなければ、多くの誘拐事件は迷宮入りになっていたであろう。
 元々、司法取引の本家であるアメリカの制度については、亡くなった元検事・弁護士の佐藤欣子さんの名著『取引の社会 アメリカの刑事司法』(昭和49年中公新書)がある。今でも概説書としてはこれ以上のものはないのではないか。
 佐藤さんは、日本の刑事司法制度は真実の発見が最重要であるから、捜査を容易にするためだからといって取引を導入すべきではないと主張していたが、ある種の犯罪については、真実の発見などときれいごとを言っていては犯罪が野放しになる可能性もあるので、取引の導入にはやむを得ない面もある。

 ●拭えぬ冤罪誘発の恐れ
 一方、確かに、冤罪の発生の可能性は否定できない。
 そもそも、司法取引を導入すべきかどうかは、佐藤さんのころから議論としてはあったが、ここにきて急に導入することになったのは、数年前の大阪地検特捜部の郵便不正事件(村木厚子元厚労省事務次官が局長時代に逮捕起訴されたが、無罪判決を受けた)など、取り調べによる冤罪事件の防止を目的として、一部の取り調べの録音・録画を義務化することになり、その交渉の過程で、検察側が司法取引制度の導入を求めて認められたものである。したがって、捜査取り調べの透明化とはまったく逆行するとの批判もある。
 たとえば、ロッキード事件において、ロッキード社の幹部コーチャン尋問調書について、当時の東京地検が、コーチャンらに刑事免責の約束をし、その代わりに黙秘権を行使させないという措置をとり、さらに、当時の我が国の最高裁が、「起訴しない」という宣明書を発行するという法律にも存在しない措置をとった。そして、この調書をもとに、田中角栄元首相は、昭和58年、有罪判決を受けた。
 これについては、刑法学者ではない渡部昇一教授などが痛烈な批判をしたが、当時はその批判は受け入れられず、平成7年になって初めて最高裁はこの宣明書が違法であると認めたのである。
 今回の司法取引は、このようなことが生ずる可能性があるのである。
 もちろん、検察としては、冤罪防止のためには万全を期すと主張している。また、弁護人の同意も必要であるなどの防止策もある。防犯カメラの導入と同じように、社会に受け入れられるかどうか、今後の運用の実態を見なければなんとも言えない。