さる6月15日、いわゆる「骨太の方針」の2018年版が閣議決定された。中身を見てみると、外国人就労に関して、「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れるため、就労を目的とした新たな在留資格を創設」という文言が入っている。
翌16日付の日本経済新聞は、「単純労働への外国人就労に門戸をひらくものとみられ、事実上の政策転換といえる」と報じた。過剰解釈の報道とはいえまい。経済財政諮問会議がこの「骨太の方針」の素案を定めた6月5日以降、産経新聞を含む多くのメディアがすでに、新たな在留資格により2025年頃までに50万人超の受け入れ増が見込まれていると伝えていた。
このニュースに接した私は、フランスの歴史・人口学者、エマニュエル・トッド氏が抱くだろう感想を、想起してみないわけにいかなかった。彼は5月中旬に1週間ばかり日本に滞在して国基研創立10周年記念シンポジウムでも講演したが、筆者は彼の日本滞在中、伊豆半島・下田港への小旅行を共にし、日本の人口問題についてもたびたび2人で語り合ったからである。
●トッド氏なら言うだろうこと
トッド氏は人類学・人口学を専門とする社会科学者である。押し並べて科学者は、対象をあるがままに見て、そのものずばりの名称で呼ぶ。政治家ならぬ科学者の目で見れば、現在128万人の外国人就労者(2017年の統計)を抱えている日本が、近い将来さらに50万人以上を迎え入れるなら、それは移民受け入れ以外の何物でもない。
たしかに政府は、新制度を「移民政策とは異なる」と強調し、「在留期間の上限は通算5年とし、家族の帯同は基本的に認めない」とも明記した。しかし、新資格での在留中に高度人材と認められれば、在留期間の上限がなく、家族帯同も可能な在留資格に移行できる措置が伴うのだから、これはもう限りなく移民導入に近い制度だと言わなければならない。
トッド氏はきっと、日本が人手不足に耐えかねて移民政策を実行するのなら、それは確かに国家経営に必要な策なのだから、ごまかさずに公然と、原則的に家族帯同も、永住も、そして、やがては国籍取得も認める真っ当な形でその政策を実行すべきだと言い、その上ですぐにこう付け加えるだろう。日本の場合、受け入れる移民の出身国が特定の国に偏らないように、また、受け入れ総数が大きくなり過ぎないように、くれぐれも慎重にコントロールしながら政策を実行すべきである、と。
●移民の社会統合のための前提
なぜなら、日本人は鎌倉時代中期(13世紀)から最近にいたるまで、比較的内婚(いとこ婚)率の高い権威主義的直系家族を基本とし、やや内向きで、序列は厳然としているけれども階層的分断は少なく、同質性の高さと一体感の強さを特徴とする社会を営んできたので、あまりにも急激に多数の移民を受け入れると、日本社会固有の文化的バランスを損ないかねないからである。しかし、外国人が持ち込む異文化を過度に恐れる必要はない。日本人の側に逞しい文化的同化力さえあれば、異文化はむしろ日本文化を豊かにする栄養素とも活性剤ともなる。
その意味で、日本文化で育った日本人が安定したマジョリティを形成しているときにこそ、無理のない、落ち着いた態勢で移民を歓迎し、社会に統合し、彼らとともに入って来る異文化も余裕をもって日本文化の中に取り込めるのである。
いいかえれば、少子化による人口減少を主に移民で埋め合わせようとするのは間違いであり、われわれが今や一刻も早く、それこそ挙国一致で取り組むべき課題は、出生率を回復し、若年層の日本人を増やすことにほかならない。この面で成功しているフランスやイギリスに学び、女性にとって職業労働と出産・育児を両立しやすい社会環境を整えることこそが真の急務であろう。