公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.02.12 (火) 印刷する

インド独立への貢献、日本はなぜ教えぬ 冨山泰(国際問題研究者)

 1月26日のインド共和国記念日(憲法記念日)の軍事パレードに、90歳を超えた退役軍人4人がジープ型の車に乗って参加した。4人は、第2次世界大戦中、日本と盟友関係を結んだインドの独立運動家スバス・チャンドラ・ボースが指揮した「インド国民軍」(INA)の生き残りだ。INA元兵士の共和国記念日パレード参加は初めてで、日本の支援を受けた武力闘争がインド独立に果たした重要な役割をインド政府が公式に認めたことを示す、とインドの戦略家ブラーマ・チェラニー氏が最近訪印した国基研代表団に語った。

 ●見直される「国民軍」の役割
 インド人は、マハトマ・ガンジーの非暴力運動によって独立が達成されたと学校で教えられ、それが定説として頭に刻み込まれている。しかし、それは神話であって、独立の決定的要因は宗主国としての英国が大戦で弱体化し、植民地を維持できなくなったことだ、とチェラニー氏は2月4日付のジャパン・タイムズで論じている。
 実は、日本はインドの独立に明治時代から貢献している。1904~1905年の日露戦争でアジアの小国日本が白人大国ロシアを破ったことが、欧米列強の植民統治下にあったインドを含むアジアの人々に衝撃と希望を与えた事実はよく知られている。
 ボースが樹立を宣言した「自由インド臨時政府」は、インド洋東部のアンダマン・ニコバル諸島を英植民地支配から「解放」しただけで、インド本土では領土を獲得することができなかった。しかし、戦後、英当局がINA幹部を反逆罪で裁判にかけると、インド民衆の抗議運動が各地で起き、兵士の反乱まで誘発して、英国に植民地統治の継続が不可能なことを悟らせた。

 ●日印友好へ元兵士の招へいも
 チェラニー氏によると、ボースとINAの復権は現在のモディ政権の下で進んだ。昨年12月30日、モディ首相はアンダマン諸島の一つの島を「ネタージ・スバス・チャンドラ・ボース島」と改名し、ボースに敬意を示した。ネタージはヒンズー語で「指導者」を意味するボースの尊称である。
 首相はまた、アンダマン諸島の別の2つの島をINAにちなんでそれぞれ「シャヒード(殉教者)島」「スワラジ(自治)島」と改名した。この日は、ボースが解放されたアンダマン諸島にインドの三色旗を掲げてから75周年に当たり、モディ首相はINAの制帽をかぶって同諸島の中心都市ポートブレアで演説した。
 翻って日本では、日本がアジアの植民地解放に果たした役割が学校教育で無視されて久しい。ボースの名前はほとんどの歴史教科書に出てこない。インドにおけるボースとINAの復権と歩調を合わせて、日本政府も日印友好行事などにボースの関係者やINA退役軍人を招待することを検討してもいいのではないか。