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2019.02.27 (水) 印刷する

【韓国情勢】韓国学者の戦時労働判決批判 西岡力(国基研企画委員兼研究員・麗澤大学客員教授)

 韓国の若手研究者と保守ジャーナリストや活動家の間で、事実に基づく歴史問題についての議論が数年前から活発化している。しかし主として学界の一部とネット上だけの動きなので、ほとんど日本で紹介されていない。
 新日鉄住金に対する不当判決が出てほぼ1カ月後の昨年11月25日、判決を全面的に批判する評論「作られた近現代史、日帝時代『強制徴用』という神話」が韓国保守派のニュースサイト「メディア・ウォッチ」にアップされた。
ハングルで約1万字にものぼる力作である。筆者は落星台経済研究所の研究員、李宇衍博士だ。「慰安婦は性奴隷ではなく軍管理の公娼」とする説をネットで公表した李栄薫ソウル大学教授の弟子だ。
 李博士は「強制徴用」「損害賠償金」「未払い賃金」の3つの歴史的事実に関して1つずつ実証的に判決を批判する。ここでは「強制徴用」批判について、議論のさわりを拙訳で以下に紹介したい。李博士は朝鮮人労働者と日本人労働者の間の賃金に差がなかったという実証論文を韓国と日本で発表している(産経新聞2017年4月11日)。歴史学者らしい資料に基づく堅実な議論を進める気鋭の学者である。

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 ●労務動員も強制動員に歪曲
<筆者は司法部の最高権威機関が日帝時代の労務動員の実体的真実をまったく見ようとせず判決を下した点、また、わが韓国社会にこびりついている反日種族主義を基礎とする近現代史歪曲を根拠として判決を下したということに対してまず、批判的問題意識を持つべきだと判断する。>
<日本が太平洋戦争を始めた後1939年9月から朝鮮人を動員する「労務動員」が始まった。この労務動員の最後の段階がまさに法的に強制できる「徴用」だ。だが「徴用」は実は1944年9月からわずか数カ月間施行されただけだ。
 ここで問題が生まれる。実際「徴用」が長い期間にならなかったので、反日種族主義を煽り、反日感情を悪化させようとした政治勢力にはこれが障害となった。関連する問題を誇張することが容易でなかったのだ。
 そこで彼らは、1939年9月から1944年8月まで、すなわち徴用が始まる以前の比較的長い期間に行われた朝鮮人「労務動員」も新しく規定しなければならない必要ができた。この純粋「労務動員」時期から朝鮮人は本人の意思に関係なく「強制動員」されたと規定して初めて労務動員の強制性を浮かび上がらせることができたからだ。
 結局、1939年9月から1945年8月までの時期を新しく規定した「強制徴用」という表現がこのように誕生し、その中に巧妙に、単純なミスだと決して言えない歴史的事実関係に対する誇張と歪曲が入っていると言える>

 ●志願者は計画人員の数倍に
<このような表現を作り出したのは朝鮮総連系の学者である朴慶植をはじめとする1960年代以後の研究者たちだ。同じ研究者である筆者は彼らがどうしてこのような深刻な概念上のでっち上げを犯したのか到底理解できない。>
<はっきり言わなければならない。「徴用」以前の「募集」と「官斡旋」段階では朝鮮人が労務動員に応じなくても日本政府はそれを法的に処罰できなかった。「強制」ではない。>
<1939年から40年に朝鮮半島はひどい凶作だった。このため日本企業が計画した人員の数倍を超える朝鮮人たちが「労務動員」に志願した。>
<要するに1939年以後、日本に渡った朝鮮人全体を「強制」的に動員された人たちだとは見ることが出来ず、日本による労務動員をひとつにまとめて「強制」だとも言えないということが筆者の結論だ>
<重要な事実を一つ指摘するならば、原告らは1941年から1943年の間に勤務したが、このときは「徴用」自体が朝鮮では施行されていなかったのだ。
 少なくとも彼らは「労務動員」すなわち、「募集」や「官斡旋」の形態で就業したことは明らかだ。彼らの当時の生活について聞いてみても、我々が常識的に考えてきた「強制徴用」イメージを思い浮かべることは困難だ。
 炭坑であれ工場であれ、日帝時代に日本で働いた勤労者は料亭、劇場、映画館など各種文化施設を楽しみ、故郷への送金も普通にできた。遊郭に行ったり博打をしたりしてカネを使い果たしたという記録も残っている。>