テレビを視聴できるワンセグ機能付きの携帯電話を持つとNHKと受信料契約を結ばなければならないかどうかが争われた4件の上告審で、最高裁は3月12日付で、契約義務はないと訴えた原告側の上告をいずれも退ける決定を下した(産経新聞3月14日付)。
このワンセグ訴訟は、地裁レベルでは、さいたま地裁、水戸地裁、千葉地裁松戸支部、大阪地裁、東京地裁の5件の訴訟があり、最初の平成28年8月26日のさいたま地裁の判決以外はいづれもNHKが勝訴してゐる。そして、さいたま地裁の判決を含む4件について、いづれも高裁段階でNHKが勝訴し、携帯電話の所有者が上告してゐた。
最高裁は、弁論を開かずに、簡略な上告棄却もしくは上告受理をしない決定をし、高裁判決が確定したのである。
そこで、さいたま地裁の判決を含む3件の地裁の判決の控訴審である東京高裁の平成30年3月22日の判決理由を見てみる(判例時報2379号56頁)。
●常識欠く法匪の高裁判決
放送法64条1項では、NHKテレビを受信できる設備を「設置した者」は、NHKと受信契約を結ばなければならないと規定してゐる。さいたま地裁の判決は、携帯電話を持つことは、「携帯する」ことであつて「設置」とはいへないといふことで、契約締結義務がないといふ判決であつた(判例時報2309号48頁)。
これは言葉の些細な意味の違ひをとらへた衒学的な判決であらうか、さうではない。いわゆるガラケーを含む携帯電話だけを持つてゐる者に、テレビを持つてゐる者と同様の受信料を強制的に払はせるのは不公平であるといふ常識がまづあり、それを救済するために考へ出された名判決といふべきである。
ところが高裁判決にはこのやうな常識は見られない。「設置」は、「受信機を物理的に一定の場所に備え置く場合だけではなく、携帯型受信機を携行する場合も含」むといふ。「法律上の用語が、国語的な意味と全く同じになるとは必ずしも限ら」ない。「受信機が設置されている目的が客観的に放送の受信を目的としているか否かによって判断すべきであ」るといふのである。まさに法匪である。
●公平という名の不公平
「携帯」が「設置」でないとすると、「ポータブル受信機のように、受信機を一定の場所に固定せず、携行する場合には、結果的に受信料の支払を免れることになり、不公平な結果を招来することにな」るといふが、ポータブル受信機の場合はまた別の理由を考へればよいのであつて、携帯電話をポータブル受信機と同視することはできない。
この判決ではないが、別の多くのNHK訴訟判決において、裁判所は、しきりに契約を強制しなければ不公平となるといふ。しかし、大型テレビを数台持つてゐても1台分の契約で良いし、他方、携帯電話を持つてゐても、まつたくテレビなど見ない場合も同じ金額を強制的に徴収される。これは不公平ではないのか。
また、NHKは、受信料制度への不満を何とかごまかさうとして、家族割引や多数契約一括支払割引、団体一括支払割引などの割引制度を設けてゐる。特に家族割引など知らない場合は適用されない。このやうな制度は不公平ではないのか。
高裁判決が確定したことによつて、携帯電話を持つてゐても受信料を徴収されることになるのであるが、実際には一々携帯電話を持つてゐるかどうか調査するわけではないので、そんなに心配することはないといふ意見がネットで見られる。しかしこれは甘い考えだつたやうだ。
●契約迫る高圧さ助長
さいたま地裁の判決直後、私は、ヤフーニュースのインタビューを受けた。さいたま地裁の事例は、携帯電話の所有者の方から、NHKに対して、受信契約締結義務がないことの確認を求めた裁判であつた。私は、さいたま地裁の判決は良い判決であるとコメントし、たゞ、いくらNHKでも実際には契約を強制するといふことはないのではないかと述べた。それがネットに掲載されたやうであり、私宛に数人からメールが寄せられた。
そのメールのほとんどは、私が受信料制度の矛盾を訴へてゐることを支持するとともに、NHKが携帯電話の所有者に受信料締結を迫ることがないといふ私の認識が誤りであることを示すものであつた。一人暮らしを始めたばかりの大学生(息子)のアパートに夜8時過ぎにNHKの職員(委託を受けた)がやつて来て、契約を催促した、テレビがないことを告げると、その場でスマホを出させ、「ワンセグ機能が付いてゐるだらう」と脅し、無理やり、その場で契約をさせられたと訴へるものであつた。
また、家にはテレビがなく、スマートフォンしか持つてゐないが、NHKの職員に高圧的な態度で契約を迫られ、受信料を支払つてゐると訴へた者もゐる。
裁判所はこのやうな実態を知らないか、知つてゐても見てみぬふりをしてゐるのである。やはり、受信料制度は悪法といふべきである。