アメリカの南北戦争(1861~1865)に関連した作品で、「聖書のように読まれ、聖書のように売れた」と喧伝される作品が、少なくとも2作ある。ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』とマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』である。
南北戦争から70余年の視点
ミッチェルは『風と共に去りぬ』の中で、戦後アトランタに進駐してきたWASP(ワスプ)の夫人たちをこう非難している。「『アンクル・トムの小屋』を聖書に次ぐ啓示本だとみなすヤンキーの女たちは、逃亡奴隷を追いかけるために南部人が飼っているというブラッドハウンド(犬)のことを聞きたがった。……奴隷の妾についても興味を示し、スカーレットは、なんといやらしく下品な好奇心だろうと思った」(荒このみ訳)。
では、『アンクル・トムの小屋』の中で、『風と共に去りぬ』はどう描かれているだろうか。しかし、これは土台無理な設問である。『風と共に去りぬ』が発表された1936年には、ストウ夫人は疾うに亡くなっていた。むしろストウ夫人は、「なるほど、こちらがこの大きな戦争を始めた小さなご婦人ですか」と面会のとき、感嘆の言葉をあげたリンカーン大統領と同時代人なのである。
『風と共に去りぬ』を日本文学史に例えれば、島崎藤村の『夜明け前』に時代的には似ている。藤村は、幕末維新を描いたこの作品を昭和4(1929)年になって書き始めた。同様にミッチェルも『風と共に去りぬ』を南北戦争が終わって七十余年立ってから出版した。だからミッチェルの南北戦争に関する記述は、時を経ているうえ、多くの資料に裏打ちされているからしっかりしている。
読まずに語られる問題ないか
高名な文芸批評家エドマンド・ウイルソンは、『愛国の血糊』と題する南北戦争とアメリカ人の関わり方を探った大著(訳書でA5判2段組600ページ)をものしているが、ストウ夫人について冒頭の1章で詳しく分析している。
ストウ夫人の小説はたしかに売れたが、南北戦争後になるとぱたりと売れ行きが落ち、1900年の初めには、その内容を理解している若者はほとんどいなくなり、「『アンクル・トム』という作品は、……単なるプロパガンダ小説であった、と合衆国ではしばしば考えられている」(中村紘一訳)という。ウイルソンは、「しかし、大人になってから、『アンクル・トム』に触れると、はっと息をのむような経験をすることになる。想像していたよりもはるかに大きな影響を与える作品である」(同)と評価している。
岩波文庫版『風と共に去りぬ』の訳者で、米黒人女性初のノーベル賞作家トニ・モリスンとも親交があったアメリカ文学者、荒このみ氏によれば、「アメリカ文学史において『風と共に去りぬ』が研究対象として論じられることはほとんどない」(文庫第5巻解説)という。
管見によれば、日本も同様で、『アンクル・トムの小屋』は少年少女文学全集や絵本ですまし、『風と共に去りぬ』は映画、しかも、副主人公レット・バトラー役のクラーク・ゲイブルの存在に圧倒されて、小説そのものを読んだことにしているのではないだろうか。
一筋縄ではいかない構造
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)やBLM(黒人の命は大切だ)に反するというレッテルを張るのは簡単なことである。
南軍の名将リーは、連邦からの脱退という大義には必ずしも賛成でなく、奴隷制自体にも疑問を投げかけた。一方、北軍の勇将シャーマンは、南部の状況(経済封鎖など)に同情的であり、奴隷制に反対していなかった。それでも二人は参戦した。南北戦争は複雑な動きを見せるのである。熾烈な戦いは、アメリカ建国史上最大の62万人もの戦死者を出した。ちなみに第二次世界大戦のアメリカ人死者は29万人、ベトナム戦争では5万人だった。
したがって、南北戦争を背景とする小説『風と共に去りぬ』は一筋縄ではいかない構造を持つことになる。ヒロイン、スカーレットの出自からしてそうだ。母親の実家は、裕福で貴族的なフランス系移民の家柄であるのに対して、タラ農園を経営する父親はアイルランドからの逃亡者であり、しかも、少数派のカトリック系という設定になっている。当時のアイルランド出身者は、白人でありながら、時に、黒人奴隷より下等とみなされ、二等市民として扱われることがあった。そしてタラ農園自体が、もとはといえば、先住のインディアン、チェロキー部族の土地を奪ったものであった。
屋敷奴隷に差別された畑奴隷
奴隷たちは屋敷奴隷と畑奴隷に分けられ、畑奴隷は差別された。南北戦争後の“再建時代”に、スカーレットが屋敷奴隷だった黒人に綿花畑での手伝いを頼むと、「いやです。わしのプライドが許さねえ」と激しく拒否される場面がある。スカーレットにレディとしての作法を教え、母親代わりの存在だったマミーは屋敷奴隷である。
白人至上主義を唱える秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)も小説に出てくる。最愛の人アシュリーはそのメンバーとなったが、スカーレットは、KKKそのものに反対だった。また、南部においても政府と州の対立があった。ジョージア州知事は州兵の南軍への参加を拒否し続け、敗北が決定的になる最後の最後になってやっと派兵を承諾する。
上のことは、『風と共に去りぬ』に散見される複雑系のごくわずかな例である。