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2020.11.24 (火) 印刷する

尖閣と北方領土の危機、日本外務省にも責任 名越健郎(拓殖大学海外事情研究所教授)

 沖縄県の尖閣諸島が、中国海警局公船の度重なる周辺海域侵入によって占領の危険にさらされている。ロシアが実効支配する北方領土は、7月に「領土割譲禁止」を盛り込んだ憲法改正で、返還がさらに遠のいた。わが国固有の領土である尖閣と北方領土の惨憺たる状況を招いた責任の一端は、日本外務省の外交失敗にあるというのが筆者の見立てだ。

日中関係は惰性で対応

尖閣諸島の領有権問題は1978年の日中平和友好条約交渉時に浮上したが、同年訪日した鄧小平は「尖閣の問題は次の世代、さらに次の世代に持ち越して解決すればいい」と発言し、日本の政治家や外務省は「さすが鄧小平」と大歓迎した。

こうして、尖閣問題は棚上げされたが、次の次の世代である習近平政権は国力、軍事力拡大を背景に、いよいよ尖閣諸島占領へ舵を切りつつある。

70年代後半は日中友好の時代で、日本は官民挙げて中国支援に走り、中国も近代化へ日本の援助や投資を切望していた。日本の国力が圧倒的に優位な時代に、経済カードを駆使して一気に領有権問題を決着すべきだったが、外務省はそれをしなかった。「外交」より「社交」を優先したのだ。

中国専門家の故中嶋嶺雄・国際教養大学元学長は「日本の外務省には、中国を刺激しないことが日中外交のすべてだという惰性的体質がある」と指摘していた。惰性の積み重ねが尖閣の危機を招いてしまった。

好機に攻められぬ官僚外交

同様に、北方領土問題も日本はソ連崩壊直後の1992年に一気に解決しておくべきだった。同年の日本の経済規模はロシアの42倍で、経済危機のロシアは冷戦の勝者である日本の大型援助を切望していた。急進改革派のエリツィン政権は、スターリン外交の過ちを正すと公言し、領土問題で柔軟な交渉案を秘密裏に提示していた。

だが、日本外務省は「4島返還ではない」として提案を無視し、官邸にも報告しなかった。当時はゴルバチョフ、エリツィンとロシア側首脳が3回続けて訪日したが、宮沢喜一首相は一度もモスクワに行かなかった。千載一遇のチャンスを座視したことで、次の世代のプーチン政権は「ゼロ回答」に転換した。

中嶋氏は対露外交でも、「日本も譲歩して早急に平和条約を結び、冷戦後のグローバル化に備えるべきだ」と主張していたが、外務省幹部は対中、対露政策で外務省に批判的な中嶋氏を国賊呼ばわりしていた。

今日の尖閣と北方領土の危機的状況は、チャンスに果敢に攻めず、惰性に委ね、外交の競争より省内の出世競争を優先する日本外務省特有の官僚外交に責任があるといえよう。