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国基研ろんだん

2021.01.13 (水) 印刷する

EU・中国の投資協定合意の背景 三好範英(読売新聞編集委員)

 昨年(2020年)12月30日、交渉開始以来ほぼ7年かけて、ようやく欧州連合(EU)と中国の包括的投資協定が大筋合意に達した。安全保障や人権面で中国に対する懸念を深めている欧州だが、経済面での対中依存度はむしろ深まっており、もはや引き返せないレベルに来ているようだ。

協定の主な内容は、読売新聞によると、▽中国は電気自動車、通信機器などの分野でEU企業の参入拡大を認める▽中国に参入するEU企業に対する技術の強制移転を禁止▽中国は国営企業への補助金の透明性向上を図る▽中国は国際労働機関(ILO)基本条約の批准に取り組む――となっている。EU企業が中国国内で活動する上でかねて障害となっていた問題の解決に向けて、十分とは言い難いが、改善への第1歩にはなり得るだろう。

交渉はながく停滞していた。昨年9月のEU-中国首脳会議でも中国市場への参入規制で双方には大きな隔たりがあった。このため年内の妥結は難しいと見られていたが、それが一転、基本合意に達したのはなぜか。欧米メディアが色々分析しているが、かいつまんで言うと次のような事情があった。

米政権移行の隙突いた中国

昨年末時点の客観情勢としてまず指摘できるのは、米政権がトランプ大統領からバイデン大統領へと移行する時期にあり、一方、EUも半年ごとの持ち回り議長国が2020年後半はドイツが務めていたことだ。

一方、中国は、香港や新疆ウイグル自治区での人権弾圧に加え、新型コロナウイルスについても武漢が発生源とされながらいまだにこれを認めていない。隠蔽工作まで疑われてきたことで、国際社会から強い批判を浴びてきた。

バイデン新政権は同盟関係重視、多国間主義への回帰の姿勢を打ち出しており、EU、日本などと連携して中国への圧力を強めることが予想される。中国としては米新政権発足前の間隙を突いて、米国不在の多国間貿易体制下で影響力の増大を図るとともに、「対中包囲網」に楔を打ち込み、中国に対する国際環境の好転をなんとしても勝ち取りたい思惑があった。

昨年11月、中国が、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への対抗策として進めてきた地域包括的経済連携(RCEP)に署名し、EUとの包括的投資協定を急いだのもその流れの中で位置づけられる。今回の合意も中国側の土壇場の譲歩によって可能となった。

EUとしては、英国のEU離脱に加え、コロナ禍で大きな打撃を受けた域内経済回復の活路を中国市場に求めたい事情がある。この協定がきちんと実施されれば、EU企業が中国国営企業とより平等な条件で競争できる。EUの対中投資環境が改善することは間違いない。

対中経済依存強めるEU

EU議長国がたまたまドイツだったことも妥結に大きく作用した。欧州委員会のドイツ人幹部たちが交渉推進に大きな役割を果たしたという。メルケル首相の多国間交渉での能力の高さは、幾多の先進7か国(G7)首脳会議、EU首脳会議での采配ぶりからも折り紙付きである。だが、メルケル氏は今年9月の首相任期切れとともに政界を引退すると表明しており、レガシー(遺産)を残したかったメルケル首相の心理は中国に付け入る隙を与えたとも考えられる。

EUにとって最大の貿易相手国は昨年第3四半期、米国を抜いて中国になった。中国にとってもEUは東南アジア諸国連合(ASEAN)についで2番目の貿易相手である。特にドイツにとって中国の比重は大きい。EUの対中輸出の半分はドイツからであり、自動車大手フォルクスワーゲンの乗用車の4分の1が中国で生産されている。

メルケル首相はコロナ感染拡大の中で、マスクなどの医療物資をEU内で生産する必要性に言及したが、こうした経済安全保障に関わる物資を除き、ドイツが中国市場依存を断ち切ることはもはや困難な状況である。

米国の海外向けラジオ放送VOAの電子版記事によると、合意はドイツにとって成功、中国にとってそれを上回る大成功。米国のバイデン次期大統領にとってはEUからのうれしくない「新築祝いの贈り物」となった。

米国内では、米国の新政権発足前にEUと中国が合意したことに党派を超えて困惑が広がっている。ジェイク・サリバン次期安保担当大統領補佐官は、EUとの間で早急に対中政策を調整する必要性があると発言している。

米英と大陸欧州に離反の兆し

しかし、今回の合意によってバイデン次期政権のEUに対する信頼は損なわれ、対中国でEUと協調しようという意欲を弱めかねないとする指摘もある。中国の人権侵害が体制そのものへの批判に向かっている最中の合意は、EUが掲げる価値観外交に背くもの、とする厳しい批判も出ている。欧州議会には新疆ウイグル自治区での強制労働の問題などに強い反発があるだけに、批准までには紆余曲折も予想される。

VOAの記事は「投資協定は、米中対立においてEUが完全には米国陣営に属さず、中間の道を歩むことを示唆している」との在ブリュッセルの専門家の発言を紹介している。巨視的に見れば、今回の合意は、EU(ドイツ主導の大陸欧州)と米英(アングロサクソン)が次第に離反していく様を物語っているのかもしれない。

欧州と日本との違いは、地理的にも中国に近い日本は直接安全保障上の脅威を受ける状況に置かれていることだ。日本としては欧州諸国が中国と経済関係を深化させるにとどまらず、安全保障面での対中宥和に向かうことが気がかりである。

もしかするとEUが米国と距離を置き、中国に引き寄せられていくのは歴史的な趨勢なのかもしれない。しかし、日本としては米国との連携を密にする以外に道はない。そのうえでEUと中国の過度の接近を牽制する必要があるだろう。