「村上春樹氏有力」との予想に反して、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したしばらく後に、国際政治学者の袴田茂樹氏が「芸術性とは無関係だが」と前置きして、「イシグロ文学は歴史の不条理を浮き彫りにしている」と簡潔に評したことがある。(産経新聞2018年1月16日)
袴田氏が喝破したもの
袴田氏は、イシグロ氏の初期3作品である『日の名残り』、『浮世の画家』、『遠い山なみの光』を取りあげた。
『日の名残り』の主人公は英国人執事である。仕える主は、駐英大使をも務めたドイツの政治家と第二次世界大戦下に親交を結んでいた。その政治家とはリッベントロップがモデルだろうと袴田氏は推測する。戦後、主は、ナチス協力者として指弾されるが、当時の英国民の熱狂ぶりを覚えている老執事は少しも動揺しない。
『浮世の画家』には、戦争画を描いたとして糾弾され続けた著名な日本人画家が登場する。誰しも藤田嗣治を想うだろう。『遠い山なみの光』には、公私ともに世話をしたかつての教え子から戦時中の発言が軍国主義的だったとして左翼雑誌上で名指しで咎められる人物が出てくる。
もちろんイシグロ氏は、実在の個人名をあげているわけではないから、これらの推測はあくまでも袴田氏のものである。が、人々が持つに至ったこうした性向について「戦後大部分の者は、都合よく忘れたふりをしていただけだ」と、袴田氏は喝破した。
ロボットは裏切らないのか
ノーベル文学賞受賞第1作としてこの春刊行された『クララとお日さま』は、メルヘンのようなタイトルと大きな向日葵に少女の姿を明るく配したカバーから受ける印象と異なって内容は重い。イシグロ氏は、人工知能(AI)を搭載したロボットのクララと遺伝子編集による“向上処理”手術の不調の結果、病気がちな少女との交流を描いている。ちなみにイシグロ氏には臓器移植を扱った作品(『わたしを離さないで』)もある。
物語はクララを語り部として進行する。クララは、AF(artificial friendの意か)として、雑貨店で売られるロボットである。はたして、AIはどこまでどう進化するのかという科学的技術的な問題には、クララが太陽光をエネルギーとしていること、嗅覚に欠点があること以外、作者は触れない。すでに人間にも似た、あるいはそれ以上の感情や心を持つ存在として登場する。漱石像などで知られるアンドロイドとは違うらしい。
人が裏切っても、ロボットは一途に裏切らないものなのか。たとえ掃除機のように扱われても、クララには怨嗟や嫉妬の心がない。推理小説的な印象もある作品のプロットを説明することは避けたいが、人よりロボットの方が“道徳”の点では数等上のような妙な感覚にとらわれる。
丸谷才一氏は「イシグロが川端康成ではなくディケンズに師事してゐることを喜んだ」(『日の名残り』文庫版解説)と書いたが、ディケンズのみならず、モーム、グリーン、あるいはクリスティ、P.D.ジェイムズ、デクスターらの英文学の衣鉢を継ぐイシグロ氏の悠揚たる物語は、人とは何たるものかと問い続ける。