1900年に起こった中国の「扶清滅洋」(清朝をたすけ、西洋人を撲滅する)を叫ぶ義和団の排外主義運動を、清国の西太后が支持し、同年6月に欧米列強に宣戦布告した。これに対し日露英仏米独伊墺/洪(蘭)の8カ国が軍を派遣して鎮圧した。
中国の南・東シナ海での傍若無人ぶりに米英仏独蘭が海軍艦艇を派遣、あるいは派遣すると表明している今日、当時との類似性を感じざるをえない。
日英「準同盟」で復活も
1900年当時のロシア軍は略奪や暴行が酷かったのに対し、福島安正少将(当時)指揮の日本軍は勇敢で礼儀正しく国際法を遵守した。日本は8カ国中最大の兵力を派遣、北京籠城戦では柴五郎中佐(同)率いる日本軍が奮戦し、死者率も各国の中で最も大きかった。この日本軍の行動を見て英国は「日本頼むに足るべし」と高く評価した。
当時の英国は南アフリカのボーア戦争に足を取られ、それまで一貫して採ってきた「栄光ある孤立」政策を放棄して日本との同盟に踏み切った。即ち日本軍が実践した武士道精神が英国をして同盟に踏み切らせた一因と言える。
英国は空母「クイーン・エリザベス」をインド太平洋に派遣し、日本へも寄港させる予定だ。海上自衛隊は英空母打撃群との共同訓練でもプロフェショナル精神を発揮し英海軍をして、あらためて「日本頼むに足るべし」と認識させてもらいたいものである。
日英同盟は1921年のワシントン海軍軍縮会議で、日本と戦争になった時には英国も敵に回すことを恐れた米国の圧力で解消に追い込まれたが、今日の英国は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への加盟交渉を開始し、ジョンソン英首相は、ファイブ・アイズ(米英豪加ニュージーランドで形成される秘密情報共有連合)への加入を日本に促すなど、再び日本との準同盟関係を復活させつつある。
恩を仇で返す中国
1902年に締結された日英同盟は1904年の日露戦争で、露バルチック艦隊の位置情報提供や極東回航の妨害活動で日本の勝利に甚大な貢献を果たした。第二次大戦ではシンガポールやビルマ戦線で干戈を交える不幸な時代もあったが、もともとは同じ海洋国家として国際法を遵守し、大陸国家の膨張を抑えるという地政学的利害をともにし、価値観の面でも共通点を有している。日本は、嘗ての「太陽の沈まぬ国」として今も全世界にネットワークを持つ英国に情報面で期待できる。
一方、米国は義和団の乱で得た賠償金を中国に返還したばかりか、今では世界トップクラスとなった清華大学を北京に設立した。しかし、「中国で本件に感謝する記事を見たことがない」とマイケル・ピルツベリーは『100年マラソン』に書いている。
日本も賠償金の一部を東方文化事業に回す決定をし、さらに第二次大戦後は、総額3兆円の政府開発援助(ODA)を中国に供与し、北京や上海の国際空港建設をはじめ、環境や衛生技術の供与も行ってきた。しかし今や、それらの支援を基に中国は約2000発の日本に届くミサイルを配備し、日本固有の領土である尖閣諸島周辺に連日、海警船を送り込むなど恩を仇で返すような国になっている。「戦狼外交」を育ててきたのは、実は日本だとも言える。