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2021.12.06 (月) 印刷する

立憲が進む社会党化の道 有元隆志(国基研企画委員兼産経新聞月刊「正論」発行人)

立憲民主党の泉健太新執行部が発足した。期待するところはほとんどないが、野党第一党としての存在感を示すためにも、日本共産党との選挙協力を含めた連携をやめる決断をすべきだ。非現実的な路線からの見直しを図らない限り、かつて日本社会党がたどったように衰退の道を歩むことになるだろう。

西村幹事長起用への疑問

泉氏は党運営の要である幹事長に代表選で戦った西村智奈美氏を充てた。立憲民主党が掲げてきた多様性の象徴として、ジェンダー平等政策を訴えてきた西村氏を選んだという。

野党で女性をリーダーに選んだ例として思い出すのは、社会党の土井たか子委員長だ。土井氏は1989(平成元)年の参院選で、多くの女性候補を擁立、“マドンナ旋風”を起こして46議席を獲得し、36議席の自民党を上回った。土井氏は「山が動いた」との有名な言葉を残した。

だが、安全保障政策を現実路線に変更しきれずに求心力を失い、1991(同3)年の統一地方選惨敗の責任を取る形で辞任した。

社会党が日米安全保障条約を肯定し、自衛隊合憲を打ち出したのは94(同6)年に村山富市政権が誕生したときだった。前年の総選挙で社会党は136から70へと大幅に議席を失ったことも背景として指摘された。

だが、この現実路線は居心地が悪かったようで、社会党から社民党に党名を変更してからの2006(同18)年の党大会で「自衛隊は現状、明らかに違憲状態」、「憲法改悪反対」などと先祖返りした。

立憲民主党にも旧社会党議員は残っている。安全保障政策でも社会党の「伝統」が引き継がれており、3月に発表した基本政策では、安全保障関連法の違憲部分を廃止する方針を示した。9月には共産党、社民党、れいわ新選組と政策協定を結び、安保法の違憲部分廃止を盛り込んだ。

西村氏は代表選での記者会見などで、共産党との合意で候補者一本化の調整が進んだとして「大きな成果があった」と評価した。幹事長である西村氏がこの認識では、いくら泉代表が共産党との合意について「単に継続ではない」と見直しを明言しても説得力はない。

来夏の参院選でも厳しい予想

来年夏の参院選では、改選定数1の1人区32が勝敗の鍵を握る。共同通信が今回の衆院選比例代表で各党が得た票数を基に試算したところ、1人区では自民、公明両党の与党が30勝2敗で大きく勝ち越した。前回参院選では与党が22勝10敗だったことを考えても野党にとっては厳しい数字だ。

立憲民主党の枝野幸男前代表は1人区では候補者を一本化しなければならないと、共産党との共闘に突き進んだ。しかしながら、自衛隊違憲、日米安保条約廃棄を主張する共産党に引きずられ、立憲民主党の独自性を発揮できなかった。

泉氏や西村氏はかつての土井たか子氏の失敗、そして今回の枝野氏の失敗から学ぶべきだろう。

立憲民主党の前身、民主党が政権を取った2009(平成21)年の衆院選では、共産党は小選挙区選挙で今回の105人を大きく上回る152人の候補者を擁立した。そうしたなかでも民主党は小選挙区221選挙区で勝利した。

その民主党は外交安全保障政策の矛盾が「下野の一因」(松井孝治元官房副長官)であった。立憲民主党も共産党との連携を重視した結果、外交安全保障政策で矛盾を抱えたままになってしまった。経済政策なども同様である。

外交安全保障分野をはじめ現実的な政策を打ち出し、共産党と共闘はしない。そのような方向に踏み切らないと泉―西村体制が長続きすることはないだろう。