元外務官僚の兼原信克氏が昨年出版した『安全保障のリアル』を年末年始の休み中に読んでみた。現在の安全保障に関する洞察については全面的に賛同するものの、戦前の歴史記述で、敗戦の全責任を旧日本軍に負わせている点は不同意である。筆者が、かつて在米日本大使館で防衛班長の任にあった時の政務班長で後に在米日本大使となった人物の認識も、また一昨年亡くなった元外務官僚の岡本行夫氏の論調も、同様の認識に根ざしていた。こうした認識は外務省幹部に一貫していると思われるので、反論できない旧日本軍関係者に代わって一言述べたい。
戦前の外相は主に外務官僚
兼原氏は著書の中で、戦前の外交に関し「軍人の壟断する外交は硬直していた」(93頁)と書いている。しかし、支那事変(昭和12年)以降の外務大臣を見ると広田弘毅、宇垣一成、近衛文麿、有田八郎、阿部信行、野村吉三郎、松岡洋右と、宇垣、阿部(いずれも陸軍)、野村(海軍)を除くと外務官僚である。
特に、英米との戦争は不可避として日独伊三国同盟を締結した外務大臣は、国際連盟から脱退した時の全権でもあった外務官僚の松岡であった。
また同頁には、1940年の仏印進駐に関しても「日本の軍人は、それが戦略的にどう連合国から見られるかということに頭が回らなかった」とある。しかし、この時、陸海軍大臣にフランスに対する要求案を提出したのは外務官僚の有田外務大臣ではないか。
さらに「真珠湾の騙し討ち」という口実で米国民を一致結束させてしまったのは、在米日本大使館の暗号処理遅延が原因であった。山本五十六連合艦隊司令長官は、宣戦布告にあたる交渉打ち切り通告が攻撃前に米政府に伝わるよう外務省に念を押していたにも拘らず、開戦後になってしまった。その責任者2名はその後外務次官にまで昇格している。
対中〝配慮〟外交への疑問
1989年の天安門事件後、欧米の反対にも拘らず日本が主導して、中国に対する制裁を解除した選択は正しかったのか? また1992年、現在の南シナ海や尖閣諸島領有権主張の大元となる中国領海法(中華人民共和国領海及び隣接区域法)が施行されたにも拘らず、天皇陛下訪中を実現させた外交は正しかったか? 総額7兆円に昇る政府開発援助(ODA)によって中国を軍事大国化させたのは正しかったのか? さらには1998年に北朝鮮の弾道ミサイルが日本の上空を飛び越えた直後に、日本が米国主導の弾道ミサイル防衛計画に参入しようと防衛庁が概算要求を作成したにも拘らず、「江沢民中国共産党総書記の訪日が実現できなくなる」という理由で防衛庁に概算要求を取り下げさせたのも外務省であった。
今、人権侵害非難に基づいた北京冬季オリンピックの外交的ボイコット表明を遅らせているのも外務省が主導しているのではないだろうか。