米印関係が新たな段階に入った。国賓として米国を訪問したモディ首相は、6月22日のホワイトハウスの歓迎式典で、7000人のインド系米国人から大歓迎を受け、その後米議会の上下両院合同会議で自身7年ぶり2度目の演説を行って大喝采を浴びた。バイデン米大統領が同盟国以外の首脳を国賓として招いたのは初めてである。わずか数カ月前まではウクライナ問題でロシアに対するインドの姿勢を非難し、人権問題でインドを批判し続け、駐印米国大使も2年間欠けたままであった米国の方針転換ともいえるほどのモディ首相の厚遇は、インドだけでなく世界中の注目を集めた。
注目される防衛協力の進展
米議会における演説でモディ首相は、米印の二国間関係が「今世紀を決定づけるパートナーシップだというバイデン大統領の考えに同意する」と述べ、さらに中国の軍拡を念頭に置いて「威圧や対立という暗雲がインド太平洋に影を落としている。地域の安定が我々のパートナーシップの中心となる関心事の一つとなった。米印は『自由で開かれた包摂的なインド太平洋』というビジョンを共有している」と強調した。モディ首相は議場から万雷の拍手を浴び、時折「モディ、モディ」の掛け声も巻き起こり、演説後にサインを求めに近寄ってくる米議員もいたほどの盛り上がりであった。
バイデン大統領とモディ首相の首脳会談後の共同声明では、多くの発表がなされた。それらは、①テクノロジー(宇宙開発、半導体サプライチェーン)②防衛(次期戦闘機エンジンの共同開発、米海軍艦船のインドにおける修理、米国製ドローンの調達)③環境(グローバル・バイオ燃料同盟、グリーン・テクノロジー投資プラットフォーム)④戦略的関係(ウクライナ復興)⑤自由貿易(世界貿易機関=WTO=係争中の六つの紛争の終結、対米関税の一部撤回)⑥未来へ向けた人的つながり(インド人技能労働者のビザ発給・更新要件の緩和、新たな領事館の設置)―などである。
この中でも最も注目されるのは、防衛パートナーシップである。米ゼネラル・エレクトリック社(GE)とインドの国営企業ヒンドゥスタン・エアロノーティクスがインドで戦闘機エンジンを共同製造する覚書を締結したほか、米海軍艦船のインドの造船所における保守・修繕、米国の偵察監視ドローン「MQ9Bシー・ガーディアン」のインドにおける組み立ても発表された。
議会演説で「近年AI(人工知能)が発達した一方で、もう一つのAIが進んだ。それはA(アメリカ)とI(インド)の関係だ」と述べたモディ首相に対して、バイデン大統領は「将来はAI(アメリカとインド)だ」と書かれた真っ赤なTシャツをプレゼントした。これは、米印関係が新しい段階に入ったことを感じさせる一幕であった。
異例の厚遇の背景にあるもの
米国がモディ首相を異例の厚遇で迎えて、「米印新時代」を演出したのは、一にも二にも、中国の軍事的な台頭に対してインドの協力を必要とすると米国が考えたからであろう。米国はこれまで、ウクライナ問題をめぐりインドに対して反ロシアの立場を取るように度々圧力をかけてきたが、効果がないことを米国は悟ったように見えた。圧力をかけても効果がないのであれば、レッドカーペットでモディ首相を上機嫌にさせて、インドを少しでも自陣に近づけ、そのことによって中国やロシアからインドを引き離し、軍事産業との関わりにインドを引き寄せようと、米国は考えたようである。「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国のリーダーを自任する20カ国・地域(G20)議長国インドの動きも、米国を不愉快にさせるのではなく、インドへの米国の接近を加速させることに貢献したようだ。
一方のインドは、自らの中立的な外交スタンスを変えることなく、「先端軍事技術」という喉から手が出るほど欲しいものを米国から手に入れる目的の成就に近づいた。ウクライナ戦争の長期化とともに、インドではロシアからの軍事装備品の調達に遅れが出ており、ロシアからの原油輸入のインド通貨ルピー建て決済も難航している。中国との領土問題が一向に解決に向かわない中で、インドでは軍事装備品の調達の多様化が望まれており、米国の今回のインド接近は「渡りに船」であった。長い目で見てロシアを「沈みゆく泥舟」だと思い始めたかもしれないインドは、長期的に有望な米国の軍事技術を基にして、自国の軍事産業を強化したいところである。
首脳会談後の共同声明では「威圧的な行動や緊張の高まりに懸念を表明し、力による一方的な現状変更に強く反対する」と明記された一方、ウクライナでの「紛争への深い懸念」は表明しながらも、ロシアを直接的に批判する文言は盛り込まれなかった。「戦略的自立性」を外交方針に掲げるインドにとって、安価なロシア製の原油供給に加えて、米国の先端軍事技術の移転を取り付けたことは、大きな外交上の成果であった。
当初懸念されていたインドの人権問題に関しても、70名の米議員が事前にバイデン大統領に意見書を提出していたにもかかわらず、首脳会談では大きな問題とならず、モディ首相は米国の記者団との会見にも応じる異例の姿勢を見せて対応した。普段モディ首相に批判的な米国のメディアも「モディ首相の議会演説に一部の米議員が欠席した」と報じたのにとどまった。インド国内でもモディ首相訪米の成功を受けて、米国の好感度が上がりつつあるという。
インドが堅持する「戦略的自立」
とはいえ、今回の米印首脳会談をもって、インドが近い将来に米国陣営に加わるという淡い期待を持つことは禁物であろう。これまでも、イスラム過激派に対処する必要からブッシュ(子)政権がインドに近づいて、2007年7月には歴史的な米印原子力協定を締結したが、その後、親中のオバマ政権下で、インドの地位はむしろ低下した。それ以前にも、1962年の中印紛争でケネディ政権が当初ほのめかした対印支援は実現せず、1971年のバングラデシュ独立戦争では中東問題をより重視する米国がパキスタン側についたという過去もある。2021年の米軍のアフガニスタンからの唐突な撤退も、直接の利害関係国であるインドに事前に知らされなかった。インドにとって、米国は依然として信頼できる国とはいえない。インドはそのあたりも十分考えた上で、米国から取れるものを取ろうという算段であろう。一方の米国では、来年11月の大統領選の結果次第ではウクライナへの全面的な支援方針が変わり、ウクライナ戦争の情勢やロシア国内の情勢が変化する可能性もある。そうなると、インドをロシアから引き離す必要性と、「グローバルサウス」のリーダーを自任するインドの米国にとっての重要性にも変化が生じるかもしれない。
さらに重要なことに、いかに将来性に乏しくても、インドにとってロシアを敵に回すことは不可能であることに変わりがない。そもそも中印関係において中立の立場を取り、インドに兵器を供給しているロシアを敵に回すようなことはできる筈がない。このことは、米印関係が強固なものとなっても変わりはない。
米国のブリンケン国務長官も公に認めているように、「歴史的」に培われたインドとロシアの関係を簡単に変えることは容易でない。これは、中国に過大な直接投資を行った日系企業がサプライチェーンの再構築に苦労していることと、似ていなくもない。
インドと米国が中国を問題視するその理由も、必ずしも一致しない。米国にとっての中国の問題は、南シナ海や台湾問題、最先端半導体技術の軍事利用であるのに対して、インドにとっての中国の問題の大半は、ヒマラヤ山脈を挟む領土問題である。
非常に長期的な視野で見ると、インドが中国に近い経済規模となり、ロシアの地位が大きく低下し、インドが米国陣営に事実上加わるような動きが見えてくるかもしれないが、それはおそらく今世紀後半まで待たないといけないであろう。その場合でも、プライドの高いインドが米国のジュニア・パートナーになるとは考えにくく、インドがこれまでの非同盟中立外交から逸脱するとは考えにくい。
こうしたことから、インドは米国陣営に参加するのではなく、これまでのような「戦略的自立性」の外交を基本としつつ、その範囲内でロシアを刺激することなく、徐々に米国への接近を強めていくと考えるのが、最もあり得るシナリオであろう。2018年から22年のインドの兵器輸入先に占める米国の比率は11%にすぎなかったが、その比率は徐々にそして確実に上昇し、米国の軍事技術のインドへの移転も加速していくであろう。「自分の国は自分で守る」という意思を持つインドが欲しているのは、有事の際の他国からの軍派遣よりも、有事に備えた自国の軍の強化であり、その意味でたとえ同盟国でなくてもインドにとっての米国の重要性はこれからさらに増していくであろう。
クアッドも強化へ
日本にとって東南アジアが製造業(ハードウエア)のグローバルチェーンの要であるのと同じように、米国にとってインドはソフトウエアのグローバルチェーンの要といえる。米国が世界のリーダーである最先端の技術は軍事産業を支えており、米国の最先端技術を支えているのがインドであることを考えれば、このソフトウエアにおける米印の結びつきがビジネス面だけでなく国家戦略の上でも極めて重要なことは容易に理解できる。
米印両国は既に「米印重要新興技術イニシアチブ」(iCET)を立ち上げて、この枠組みを中心に、半導体、重要鉱物、通信、宇宙、量子技術、人工知能などの分野で協力を進めている。半導体分野では米国のマイクロン・テクノロジー、アプライドマテリアルズ、ラムリサーチの各社がインドへの投資を進めているし、グーグルやアマゾンなどのテック企業も対印投資をさらに増やす計画を発表している。今回のモディ訪米に合わせて、米国の電気自動車(EV)大手テスラもインドへの大型投資の可能性を表明している。
最後に、今回のモディ訪米による米印関係の大きな前進は、日印関係にも少なからぬ好影響を与えるであろう。米国追随型の日本の外交において、これまでも米国のインド戦略は日本のインド戦略に大きな影響を及ぼしてきた。例えば、1998年のインドの核実験を受けて経済制裁を行った日本は、2001年に米国に追随する形でそれを解除した。2000年の森喜朗首相訪印も、米国の圧力によるものであった。2007年に米印原子力協定が妥結されたことは、その後の日印原子力協定の締結につながり、このことで日印関係は真の意味で戦略的なものとなった。
2022年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、日印間ではロシアへの対応をめぐって不一致が生じていたが、米国がこの問題を切り離してインドを「対中カード」として使うという正しい決断をしたことで、日本政府もそれに素直に従うことが期待される。これまで必ずしも明確でなかった日米豪印4カ国の安全保障協力の枠組み「クアッド」の位置づけも、米印関係の強化を受けて強化されていくであろう。(了)