公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2023.06.26 (月) 印刷する

産業スパイ対策をどう拡充するか 江崎道朗(評論家)

警視庁は6月15日、国立研究開発法人の産業技術総合研究所(産総研)に所属する中国籍の研究員を不正競争防止法違反の疑いで逮捕した。各種報道を総合すると、事実関係は以下の通り。

①容疑者は2018年4月、自身が研究に関わっていたフッ素化合物の合成技術情報データを北京の化学製品製造会社にメールで漏洩した。

②中国のその会社はメール受信から1週間後、データを流用したとみられる技術を中国で特許出願し、2020年6月に登録された。この事実を知った産総研から相談を受けた警察が捜査した結果、このメール送信によって「産総研は(日本や中国で)特許を取る機会を奪われた」(警視庁幹部)とする証拠を入手し、不正競争防止法違反で逮捕した。

機能した不正競争防止法

こうした報道から分かることは以下の通り。

①今回、不正競争防止法が産業スパイ取締法として機能した。要は、現行法でも産業スパイを取り締まることができる。

②今回、漏洩したとされる技術は、安全保障上重要な技術(機微技術と呼ぶ)ではないと思われる。よって適用法令も、核兵器や大量破壊兵器などに関わる機微技術の漏洩を取り締まる外為法でなく、営業秘密漏洩を取り締まる不正競争防止法であった。

③ただし、容疑者が中国人民解放軍とつながりのある「国防7校」の一つである北京理工大教授にも就いていたことから、中国共産党や軍との関係はどうなっているのか、その動機も含めて解明が必要となる。

そのうえで以下の点について付記しておきたい。

①冷戦終結後も米国や日本は中国との協力関係を拡充してきた。米国のオバマ民主党政権は2015年の「国家安全保障戦略」(NSS 2015)において中国について「協力と注視」と述べるだけであった。だが、トランプ共和党政権が2017年に公表した「国家安全保障戦略」(NSS 2017)において中国を名指しで非難し、これまでの対中「関与」(engagement)から対中「競争」(competitive)政策に転換した。この政策転換に呼応して第2次安倍政権も対中政策の修正を始め、昨年12月、岸田政権が国家安全保障戦略において対中「競争」戦略を採用した。

②同時並行で日本政府は近年、経済安全保障の観点から産業スパイ取り締まりの態勢を強化し、警察や公安調査庁の人員を拡充してきた。その結果、今回の逮捕につながったわけであり、綿密な捜査を通じて逮捕にこぎつけた捜査当局の奮闘には心より敬意を表したい。

要は日本政府が国家戦略として中国に対峙する方針を固めたのは昨年12月であり、今後、こうした産業スパイの摘発は増えていくことになろう。 

行政通信傍受など法改正必要

そして本格的に機微技術の漏洩を防ぐためには、最低でも以下のような対策が必要となる。

第一に、中国などから機微技術をいかにして守るのか、官邸主導で総合的な国家戦略を策定し、関係省庁に具体的な指示を出すべきだ。米国は2020年の時点で「中国に対する米国の戦略的アプローチ」(United States Strategic Approach to the People’s Republic of China)と題する報告書を作成し、経済、通商、安全保障、人権、環境など多岐にわたって中国の問題点を列記し、それらの課題への対抗策をまとめ、各省庁に具体策を指示している。

第二に、捜査方法の改善だ。こうしたスパイ事件で重要なのは、違反行為の端緒をいかにして掴むのか、なのだ。今回の場合は、産総研が警察に相談したので捜査を始めることができた。しかし、スパイ捜査について関係者からの情報提供だけに頼るわけにはいかない。よって欧米の場合、捜査の標準的手法として行政通信傍受(犯罪の前に行政機関が行う通信傍受)、信書開披(開封)、秘密捜査(おとり捜査など捜査官の身分を秘匿した捜査)、監視機材(カメラ、マイク等)の設置、潜入捜査などが認められているが、日本の場合はこれらの情報収集の大半が認められていない(1999年、通信傍受法で、既遂の犯罪捜査のため裁判所の令状を受けて行われる司法通信傍受は許可された)。スパイ取り締まりのためには、行政通信傍受などを可能とする法改正が必要だ。現在検討されているセキュリティ・クリアランス(秘密情報取り扱い適格性審査)制度の拡充に際しても、この捜査方法の拡大は必要となる。

第三に、捜査体制の拡充だ。今回の事件を担当した警視庁外事課は総勢でも350名程度といわれる。警視庁を除いた道府県警の外事警察も全国すべてを合わせて数百名に過ぎないといわれる。公安調査庁も菅政権の時に産業スパイ取り締まりを念頭に人員を増やしたが、それでも捜査部門は数百名程度だ。予算に至っては公安調査庁や外事警察などの日本のインテリジェンス組織の予算総額は300億円程度といわれているが、米国のインテリジェンス機関の総予算は約9兆円に上る。全国各地で産業スパイを取り締まり、技術漏洩を防ぐためにも、思い切った予算の増額とマンパワーの拡充が必要だ。(了)