公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

2024.02.13 (火) 印刷する

基地跡地利用を視察する能天気な知事 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

2月2日から3日間、玉城デニー沖縄県知事はフィリピンの米軍基地が返還された後の跡地利用を視察した。在比米軍基地が返還されたのは冷戦終結直後の1991年であり、台湾有事が予測される現在と国際情勢は全く異なる。

台湾有事の際の住民保護に責任を有する県知事としては、基地跡地利用の視察よりも、沖縄県民保護の実動訓練を優先すべきではないのか。

米軍を撤退させて後悔した比軍

1991年にフィリピン・ルソン島のピナツボ山の噴火もあり、米国はフィリピン政府の要請に基づいて東洋最大のクラーク空軍基地と、スービック海軍基地を返還した。その直後の1992年、中国は米軍撤退によって生じた力の空白を埋めるかのように領海法を制定し、南シナ海のほぼ全域を中国の領海と明記した。そしてフィリピンが領有権を主張するスプラトリー(南沙)群島のミスチーフ礁に、緊急時の漁民避難施設という名目で建造物をつくり始めた。

当時、在米日本大使館の武官であった筆者は、フィリピン軍の参謀総長から「既に4階建ての建物をつくられてしまった。中国は漁民避難用だと言っているが、作業員は人民解放軍の服を着ている」と聞いた。

約10年前に米国防大学が主催する安全保障セミナーで同席したフィリピン国家安全保障局の海軍将官は「1991年に米軍基地を返還させたのは誤りであった。我々はあの事象から多くを学んだ。将来、ああした失敗を繰り返したくない」と後悔の念を筆者に語った。

在比米軍基地返還は冷戦終結直後であったが、現在は台湾有事が目前に迫っている。米海軍協会が出版する月刊誌プロシーディングズは昨年の12月号で「2026年の中台戦争シナリオ」を想定した特集記事を掲載している。米海兵隊普天間飛行場が沖縄県に返還されるのは早くても2030年代半ば以降である。10年先の跡地利用のためのフィリピン視察より、今もっとやるべきことがあるのではないか。

台湾有事の住民避難訓練を優先せよ

平成16(2004)年に成立した国民保護法は「政府対策本部⻑は、住⺠の避難が必要であると認めるときは、基本指針で定めるところにより、総務大臣を経由して、関係都道府県知事に対し、直ちに、所要の住⺠の避難に関する措置を講ずべきことを指示するものとする」と定めている。また一昨年末に閣議決定した国家安全保障戦略では「国民保護のための体制強化」として、沖縄県の先島諸島などの住民を避難させる計画の「速やかな策定」を盛り込んだ。

住民の保護は、単に計画だけでなく、その計画に基づいた実動避難訓練が必要であるが、沖縄県では国民保護計画に基づき地方公共団体、自衛隊や海上保安庁等の指定公共機関の協力による実動訓練は未だなされていない。普天間飛行場の跡地利用を考えることよりも優先すべきは、台湾有事における住民避難の実動訓練である。(了)