公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2024.09.30 (月) 印刷する

世界に広がる印僑ネットワーク 近藤正規(国際基督教大学上級准教授)

世界政治でインド系の活躍が目立ってきた。米国ではカマラ・ハリス副大統領が民主党大統領候補になり、史上初のインド系米大統領が誕生する可能性も出てきた。共和党副大統領候補になったJ・D・バンス上院議員の妻ウーシャ・バンスさん、共和党予備選に出馬したニッキー・ヘイリー元国連大使と実業家のビベック・ラマスワミ氏、ルイジアナ州元知事のボビー・ジンダル氏もインド系である。英国ではリシ・スナク前首相やサジド・ジャヴィド元財務相、アイルランドでもレオ・バラッカー首相といったインド系の政治家の存在感が高まっている。インド系移民の子が有力国の政治を動かすことが世界のパワーゲームとなりつつある。

今月、日米豪印4カ国(クアッド)首脳会議で米国を訪問したインドのモディ首相は、ニューヨークでインド系を含む大手テック企業の最高経営責任者(CEO)と会談した。また同地では印僑の大集会に参加して、ロックスター並みの大歓迎を受け、印僑のパワーを見せつけた。

世界で活躍する印僑

印僑という言葉の定義は曖昧であるが、通常は「19世紀以降のインドからの海外移民」を指すことが多い。1830年代以降に英領モーリシャス、フィジー、ビルマ、マレーシア、セイロンなどにプランテーション労働者として送り込まれたのに続き、近年では米国や英語圏を中心とした先進国へ知的労働者として、また中東諸国などへ単純労働者として渡るタイプが増えている。インドへの2023年における海外からの送金額は前年比12.4%増の推定1250億ドルとなり、世界トップとなっている。

全世界の印僑の正確な人数を数えることは容易でないが、3世まで含めるとその数は3200万人に及ぶといわれている。7000万人ともいわれる華僑には及ばないものの、大きな人数である。とりわけ米国にはインド系が500万人以上おり、その所得水準は他のどの人種・民族より高い。近年では主要米国企業のトップにインド系がなることが増えてきており、アルファベット(グーグルの持ち株会社)、マイクロソフト、IBM、アドビ、ペプシコ、マッキンゼー、シティバンク、マスターカード、スターバックスなどのCEO(ないし元CEO)はインド系である。彼らはほぼ全員がインドで生まれインドの大学を卒業した第一世代移民である。

さまざまな人種や宗教が混在するインドで生まれた彼らは、米国の多国籍企業で働くことが容易であり、語学にも問題がない。プライベートでは自らと同じ地域やカーストの出身者と交わり、自宅ではインドの神像を拝むものの、社会ではさまざまな人種・民族と交わって、グローバル・シチズン(世界市民)として生きる能力を持っている。また、生活環境が先進国ほど整っていないインドで幼少期や学生時代を過ごした経験から、困難な問題を解決する能力が養われている。

政治の世界での躍進

これに加えて最近目立っているのが、政治の世界における第二、第三世代のインド系の躍進である。2013年、米議会でインド系はアミ・ベラ下院議員だけだったが、現在では下院に5人、上院に1人のインド系がいる。インド系政治家の台頭の背景には、教育水準の高さ、経済的豊かさ、そして民主的なインドをルーツに持つことがある。

インド系移民のロビー団体も力をつけてきており、2007年の米印原子力協定締結へ向けた米議会における合意の取り付けも、彼らの力が不可欠であった。米議会内ではインド友好議員連盟の動きが活発になってきており、昨年6月のモディ首相訪米における議会演説の実現に当たっても彼らの果たした役割が大きかった。

経済の面でも、インド政府は、米国を始めとする世界の印僑マネーの対印投資に期待している。グーグルやマイクロソフトなどの米テック企業の幹部にインド系が多いことも、これらの企業の対印投資を容易にしていると思われる。例えば経済安全保障の分野で重要視されている半導体分野では、これまで米企業はインドで設計はするものの製造に後ろ向きであったが、CEOがインド系のマイクロン社はインドでの工場建設を決断した。

インド系政治家の政治的立場

このようにインド系政治家が世界で台頭してきているのは間違いない事実であるが、インド共和国とインド系コミュニティーの立ち位置は同じでないことを理解しておくべきである。インド系移民とインド共和国の利益は別物で、インド系移民のインド共和国に対する態度は批判的になる場合が実際には多い。

ハリス副大統領がいい例である。ハリス氏の母親は南インドのタミル・ナドゥ州出身の政府高官の家に生まれ、家政学を学べという親の教えに背いて米国に科学者として留学した。ハリス氏の父親(ジャマイカ出身の黒人)は、筆者が留学していた時、スタンフォード大学でマルクス経済学を教えていた。母親の一族の出身地タミル・ナドゥ州は、北インドを中心とするモディ政権与党インド人民党に対する反感の強さで知られており、今年のインド総選挙でも与党連合は1議席も取れていない。

筋金入りの反インド人民党かつ左翼の血を引いているハリス氏は、カシミールの人権問題などでリベラルな主張を繰り返していて、モディ首相としては大統領にはなってほしくない存在である。ハリス氏が副大統領になる前に米議員使節団の一員として訪印した際、ジャイシャンカール外相は、カシミールの人権問題等でこの使節団との面会を拒んでいる。英国のスナク首相がインド最大の祭り「ディワリ祭」を祝い、ヒンドゥー教徒であることを明言しているのに対して、ハリス氏はインド系米国人の集まりにも顔を出していない。それにもかかわらず米国の多くのインド系有権者がハリス氏をトランプ前大統領(共和党大統領候補)より支持しているのは、ハリス氏がインド系の血を引いているからではなく、民主党候補だからである。

ハリス氏がインド系であっても親インド、あるいは親モディ政権でないのは、日系のマイク・ホンダ元下院議員が反日であったのと同じである。2016年の米下院選挙でこのホンダ議員を破って当選したインド系のロー・カンナ下院議員は、モディ首相の訪米時の議会演説の実現にも尽力したとされるが、慰安婦問題や尖閣諸島問題などでホンダ氏以上に反日であるという評価もある。「インド系米議員だから親印、親日」というような単純な図式にはならず、複雑である。

米国の大学で教える世界トップレベルのインド出身経済学者を見ても、ノーベル経済学賞を取ったアマティヤ・セン氏やアビジット・バナジー氏も、インド中銀総裁を務めたラグラム・ラジャン氏も、一貫してモディ政権に批判的である。ビジネスにおいても印僑は必ずしも親日的と言えない。日本では、アフリカの印僑を味方につけて日系企業のアフリカ進出に役立てようという考えがある。しかし、アフリカの印僑の多くは現地で日本企業の協力を必要としていないし、透明性の高い経営が求められるために、代理店にはなっても日系企業との合弁は避けたいことも多い。

加えて、本来インド共和国との政治的な絆となるべき印僑の方でも、自らが住む国で移民排斥問題が深刻化する中で、ことさらに表立ってインド色を出して目立ちたくないという考えを持つ人たちも多い。

一枚岩ではない印僑

一口に印僑と言っても、彼らは華僑と同じように出身地別に固まっていることも忘れてはならない。インド人はインド国内でも国外でも、インド人のネットワークというより彼らのコミュニティーのネットワークを最大限に活用して出世や生き残りを図っている。日本の学閥の比ではない。タタ財閥の総帥を例にとっても、当初の出世に当たって社内のタミル・コミュニティーのサポートがあったと聞く。

日本の印僑も同じだが、米国の印僑の集まりは出身地別に行われている。例えばムンバイ出身者の最大の祭りは今から3週間前、ケララ州出身者の最大の祭りは2週間前で、1か月後のディワリ祭よりも彼らにとっては重要である。

コミュニティーのネットワークを最大限に活用しているインド人は、個々人の力量という点で見ると、経済でも政治でも、世界で屈指のやり手である。敵に回すと大変だが味方に付ければこれ以上なく頼もしい存在である。インド系の政治家が世界で台頭している中で、彼らが米欧日と中露の対立構図、そしてグローバルサウスと呼ばれる新興・途上国に及ぼす影響も無視できなくなってきた。そうした中で、首脳外交の場から国際機関の理事室まであらゆる場所で、「誰が誰とつながっていて、インド共和国とその同志国日本の味方にどのようにしてなってくれるか」を見極めた上で、然るべき人材に個別にアプローチして彼らの協力を得ることができれば、日本の国際的な力の向上に役立つであろう。(了)