2月5日の衆院予算員会で、国民民主党の橋本幹彦議員が防衛省の制服組(自衛官)による答弁を求めたことに対し、安住淳予算委員長は自衛官が答弁に立たないとする理事会の判断を続けていくと答えた。安住委員長はその理由として、①判断はすべての会派の意思であること②制服組が答弁をしない判断は長い慣例だけでなく、先の大戦のことも踏まえ文民統制の観点からやってきたこと③国会以外のところで制服組の話を各党などが聴取しているため、国会は制服組の答弁を聞かないという偏った考えで判断はしていないこと―を挙げた。
委員長の制止にもかかわらず、橋本議員は、国会における自衛隊の議論は空論であり、現実を踏まえていないと畳みかけた。すると委員長は、①と②を繰リ返すとともに、「(理事会の判断への)行き過ぎた誹謗中傷は看過できない」とし、「この判断は文民統制の重みをわきまえた戦後の長いルールの中で重く積み上げてきたことである」と強調した。また、制服組に答弁させない追加の理由として、④防衛省の組織として文官であろうと自衛官であろうと責任をもって答弁してきたことは否定されるべきでない、と論じた。
「文民統制」への誤解
あるファクトチェックによれば、安住委員長の発言は、衆院予算委員会理事会の合意事項を遵守するよう求めたものであって、「委員会の議事を整理し、秩序を保持する」委員長の職責(国会法第48条)に基づく当然の行為であった。また、上記③については、実際のところ各党が様々な研究会に政府委員等として自衛官の出席を認めており、発言内容が記録に残る国会の委員会とは大きな違いはあっても、自衛官の意見を聴取する機会を与えている現実を踏まえた指摘であった。
その一方で、安住委員長が制服組に答弁させない理由として挙げた②と④について違和感を覚えたのは筆者だけではあるまい。
まず、②の「長い慣例だけでなく、先の大戦のことも踏まえ文民統制の観点からやってきた」という点について、文民統制への誤った理解の片鱗や、廃止されて久しい「参事官制度」の残滓を感じた。
防衛白書によれば、文民統制とは、民主主義国家における軍事に対する政治の優先、または軍事力に対する民主主義的な政治による統制を指す。我が国では、国会が自衛官の定数、主要組織などを法律・予算の形で議決し、防衛出動などの承認を行うこと、また内閣総理大臣その他の国務大臣は、憲法上文民でなければならず、内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊に対する最高の指揮監督権を有することをいう。
防衛省の参事官制度は、文民統制を厳格化するために内局の官房長や局長といった文官が防衛庁長官(防衛相)を優先して補佐することを定めた「文官優位」の仕組みであったが、冷戦が終わって自衛隊が真に働くことを求められる時代に、文官と自衛官が同等の立場で大臣を補佐している実態にそぐわないとして、2009年に廃止された。
「文官優位」は文官が自衛官を統制するいわゆる「文官統制」ではなく、いわんや政治が軍事を統制する「文民統制」でもなかった。2015年の防衛省改革によって文官と自衛官の対等化が図られるとともに、文官と自衛官の一体化がさらに進むと、文民統制に関する誤認識はなくなっていく。以後、防衛省は文民統制の原則に基づき、防衛相の下で、政治任用者、文官、自衛官の三者が一体となって防衛省の所掌事務に関する基本的方針について審議し、大臣を補佐する体制となっている。
弊害生んだ長年の慣行
国会への説明をもっぱら文官が行うことは、文民統制とは関係がないところで続いてきた慣行である。言うまでもなく自衛官の国会答弁は法的に禁じられてはいないが、この慣行は2015年の防衛省改革の後も存続し、たとえば統合幕僚監部に関する事柄であれば統幕に配置された文官が政府参考人となって答弁し、自衛官が答弁に立つことはなかった。
長年の慣行は、二つの弊害を生んだ。一つは、内局が自らのあずかり知らぬところで自衛官が国会議員に接触することを嫌う風潮となったことである。とりわけ民主党を中核とする連立政権の時代、内局が統幕と陸海空の3幕僚監部に議員会館へ勝手に立ち入らぬように求めたことさえあった。
第二は、自衛官と国会議員の間に溝を作ったことである。自衛官による国会議員への説明は自衛官の心構えが禁じた「政治的活動に関与する」ものではなく、民主党連立政権時代に問題となった「隊員の政治的中立性」を損なうものでもないが、自衛官の足を議員会館から遠のかせるとともに、重要な編成替えに関する予算要求でさえ、国会議員への説明を文官に丸投げする風潮となって今も残っている。
要するに、予算委員会などの国会の政府委員に文官が立つようになったのは、防衛省の組織上の都合によって出来上がった慣行であって、安住委員長が指摘した「戦後の長いルールの中で重く積み上げてきたこと」ではあっても、「文民統制の重みをわきまえた」ことが理由ではなかった。繰り返すが、自衛官の国会答弁は法的に禁じられてはおらず、自衛官が国会答弁をしない慣行は文民統制とは関係がない。
現場だけが知る部隊運用の機微
次に、④の「防衛省の組織として文官であろうと自衛官であろうと責任をもって答弁している」とする指摘は全く正しいが、急速に厳しさを増す戦略環境に比例して国会議員が知るべき自衛隊の能力、運用、装備品の範囲が拡大している時代に、自衛官と国会議員を隔てる溝を深くしかねない不作為を感じる。
防衛省の文官はいずれも志高く、誰よりも献身的に勤務する人々であるが、いかに優秀な文官であっても、部隊運用に関する答弁は不十分にならざるを得ない。とりわけ、自ら経験したことのない部隊運用の機微はどのように努力しても完全には理解できないであろう。
流動化し不透明さを増す現在の戦略環境では、国会答弁は文官に一任するのではなく、文官と自衛官が一体となって行い、事務と隊務のバランスの取れた答弁を可能とする仕組みが適当と思われる。これは国会議員にとっても有用と思われ、国家主権にかかわる国家意思決定の判断に資するよう自衛隊に関する知識ベースを高める努力が必要な時代に、その努力を補佐できる。
台湾有事のタイムラインが早まっているのであれば、国会議員は文民統制の重要な目的である防衛出動などの承認を判断する場に立たされることを今から想定しておかなければならず、隊員が死傷し国民に被害が及ぶ事態があらかじめ想定されるケースでも判断の逡巡は許されない。いかに優れた政策も、政治が決断し方向性が明示されなければ動かない。国会議員が判断の基礎とするものは高い防衛リテラシー(知識活用能力)であって、その向上は喫緊の課題となっている。
組織改編が慣行変える好機
この点に関連して、今年度末に防衛省に統合作戦司令部が新設されることは、国会議員と自衛官の溝を埋める良い機会となるのではないか。軍事専門的見地から防衛相を補佐する幕僚機関としての統幕の機能が一段と明確になるためである。安住委員長は、自衛官が答弁に立たないとする理事会の判断を続けていくと答えたが、予算委員会に留まらず、国会の各委員会は自衛官にも答弁させる判断をすべきであろう。委員会の答弁は記録されるため、国会の文民統制に関する正確な記録を後世に残す意味からも、自衛官の答弁は重要な意義を持っている。
我が国を取り巻く情勢は、自衛官が現場の声を文民統制の主体である国会議員に正確に伝え、そして国会議員が自衛隊を深く知ることを強く求めている。防衛庁長官、防衛相の経験に加え、長年にわたって防衛省・自衛隊のために心を砕いてきた石破茂首相は、この情勢を誰よりも理解しているのではないか。(了)