日本維新の会が9月18日、憲法9条2項の削除を盛り込んだ政策提言を発表した。その前提には、同条項は「自衛のためでも戦力を保持することができない」と解釈していることがある。このような解釈が一般に流布していると考えてよいだろう。はたしてそのような解釈は妥当だろうか。結論から先に言えば、9条の解釈は字句の問題ではなく、歴史的事実の認識の問題なのである。
芦田修正の意味と極東委員会の反応
私は9条を解するにあたり、66条2項の{内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない}という、いわゆる文民条項と不可離の関係にあることを何度も語ってきた。拙論、拙著を読まれた方には「耳に胼胝」ができていることであろう。『国基研紀要』第4号にも書かせていただいた。しかし非力ゆえ、広く浸透しているとはとても思われない。少なくとも国基研の会員のみなさんには、歴史的事実を共有していただきたい。そんな思いから記述したことをご理解いただきたい。
ことの発端は、芦田均氏の「芦田修正」にある。9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」を加えたのが、芦田修正のポイントである。芦田氏はこの文言を追加したことについて、戦争や武力の威嚇または武力の行使を放棄したのは、侵略戦争を行使しないという意味であって、自衛のための戦争および戦力保持は可能であるとの解釈を可能にするためであると証言している。
この修正に敏感に反応したのが、極東委員会である。極東委員会第3委員会が9月20日、芦田修正を受け入れると同時に、明治憲法体制時代のミリタリー・コントロールを排し、シビリアン・コントロールを徹底させるために、文民条項の導入を要請、日本側に強制したのである。これが歴史的事実である。
政府が芦田修正をとらない理由
政府が芦田修正をとらない最大の理由は、極東委員会での議論の内容をまったく知らなかったからである。致命的なミスだと言わなければならない。
第二に、政府提案でなかったからである。芦田修正は、いわゆる芦田小委員会で決定され、8月24日、そのまま衆議院を通過した。この間、政府は芦田修正について、答弁する必要はなかった。貴族院で審議されたのは、9月24日のことである。
第三に、すでに6月の段階で、自衛戦争委は可能とするべきではないかという共産党の質疑に対して、吉田茂首相は「国家正当防衛権を認めることは、有害無益である」と答え、一蹴していたからである。
この機会に9条と文民条項導入との不可離性に関して、その歴史的事実を再認識すべきである。





