臼杵陽・日本女子大学文学部史学科教授は10月16日、国家基本問題研究所の企画委員会において、中東の諸問題のうち先般取り交わされたアブラハム合意を中心に語り、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと幅広く意見を交換した。臼杵教授の発言内容は概略次のとおり。
9月15日、中東のアラブ首長国連邦(UAE)とバーレーンが、トランプ米大統領立ち合いのもと、イスラエルとの歴史的合意に調印した。このアブラハム合意は、エジプトとヨルダンに続く、イスラエルとの完全国交樹立を意味する。
そもそも、アブラハム合意という名称には、シンボリックな意味がある。イスラームから見た諸預言者の系譜では、アブラハムは3宗教(イスラーム、ユダヤ教及びキリスト教)の始祖とされ、これらを束ねる存在とされる。つまり、米国(キリスト教)が仲介し、イスラエル(ユダヤ)とUAE・バーレーン(イスラーム)にもたらした合意なので、3つの宗教が束ねられたという意味で、アブラハム合意と称したのである。
さて、中東地域は言語、民族、宗派などの特徴からトルコ、イラン、アラブの3つに大別される。すなわち、トルコやその外縁にあるチュルク語圏、ペルシア語のイランや湾岸地域を含むシーア派諸国、アラビア語のアラブや多数派であるスンニ―派諸国で、それぞれの境界付近では紛争が発生しやすいという特徴がある。その中で、イランとアラブに横たわる根深い宗派対立及び非アラブ圏であるイスラエルとのパレスチナ問題は、常に大きな二つの焦点となってきた。
そのような中、今回のアブラハム合意が成立した。
仲立ちをしたトランプ米大統領は11月に大統領選を迎えることから、国際的合意形成者という印象を作りたかったのでは、という分析もある。しかし翌日の16日、アラブ・ニュース(サウジアラビアの英字紙)はこの合意を「新しい夜明け」として歓迎の意向を示した。少なくとも、行き詰まっていた対立構造に変化をもたらしたことは評価できるのではないか。
また、合意に先立ち、米大統領上級顧問のジャレッド・クシュナー氏を含む米国とイスラエルの代表団がイスラエル国営のエルアル航空で中東諸国を歴訪した。その際サウジアラビアが、イスラエルの航空機による自国領空通過を許可したという事実は大変興味深い。
いずれにせよこの合意は、パレスチナを素通りして、アラブ世界の一部とイスラエルを結び付けた点で大きな意味を持つ。今後のサウジアラビアなど、他のアラブ諸国の動向から目が離せない。
【略歴】
1956年大分県中津市生まれ。80年東京外国語大学外国語学部アラビア語科卒業、88年東京大学大学院総合文化研究科国際関係論博士課程単位取得退学。在ヨルダン日本大使館専門調査員、佐賀大学助教授、エルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所客員研究員、国立民族学博物館教授を経て、現職。専門は現代中東政治、中東地域研究。
主な著書に『中東和平への道』(山川出版社、1999年)、『大川周明―イスラームと天皇のはざまで』(青土社、2010年)、『「ユダヤ」の世界史 一神教の誕生から民族国家の建設まで』(作品社、2019年)など多数。
(文責・国基研)