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2020.10.23 (金) 印刷する

「日本学術会議の歴史」 唐木英明・元日本学術会議副会長

 唐木英明・東京大学名誉教授は10月23日、国家基本問題研究所の企画委員会において、日本学術会議の元副会長として、同会議誕生から現在までの歴史を振り返り、何故現在社会問題化しているかを中心に語り、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと幅広く意見を交換した。
 唐木名誉教授の発言内容は概略次のとおり。

【概要】
 1949年、敗戦後間もなく米国によるわが国占領政策のもと誕生した日本学術会議は、内閣府の特別機関である。

敗戦の翌年、46年、GHQ科学技術部の指導のもと文部省、学士院、学術研究会議、日本学術振興会、科学渉外連絡会(Japanese Association for Scientific Liaison)が科学技術新体制作りを検討。48年GHQ科学顧問としてHCケリー博士が着任し、研究者民主主義を推進したことなどが、49年に発足した日本学術会議を方向付けた。もともと占領軍が反政府的な考えを持つ学者を集めた上、強い力を持っていたため、当時の吉田茂総理は改革に着手するが、学術会議側の反対要望により頓挫する。

 1956年以降、科学技術庁が設置され、59年に科学技術会議が誕生し、67年に文部省のもとに学術審議会が設置されるなど、徐々に学術会議の影響力が削がれていった。
 
 そのような中、81年に中山総務庁長官が、学術会議会員以外の人たちを出張させている実態を指摘して問題視すると、学術会議側が反発し政府との対決姿勢をとる。学術会議は、政府の姿勢とは別に自己改革を声明、国の機関として存続することを要求した。
 
 他方、政府はプロジェクトを設けて民営化案を含めた改革を提言したが、議論の末、国の機関として維持された。加えて会員の任命方式は、会員選挙では一部の政党の影響を受け易いことから、学会推薦方式へと変更することになった。しかしこの改革は、学会の利益誘導を招き、国や国民の為にならない結果となった。
 
 1990~2000年代にかけ行政改革の波が押し寄せると再び学術会議見直しの動きが出てきた。2005年には会員の選出方法について学会選出方式を止め、会員と連携会員が推薦し選考委員会が調査して絞り込む方式とした。さらに、学術会議の在り方として、俯瞰的な観点を持つ、あるいは海外アカデミーの制度を範とする、10年後に再度見直す、などを決めた。これにより、10年後の2015年に改革のチャンスが訪れたが、学術会議に宥和的な有識者会議の結論は現状維持、政府与党も無関心であったため、改革のチャンスを逃したばかりか逆に先祖返りしたのは残念である。
 
 かつて、学術会議の中にいた者として問題点は多々指摘できる。たとえば、欧米の海外アカデミーを視察して実感したところ、中国を除く先進国のアカデミー(米英仏独伊加など)は民間の非営利組織として運営されている。わが国も海外事例を範として、民営化することが期待される。

 さらに、学術会議は度々「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」との声明を出すが、海外アカデミーは民間組織であっても、軍事研究を明示的に禁止するなどは寡聞にして知らない。例えばインターネットやレーダーなど、軍事研究から発展し、国民生活に不可欠な技術は限りないのであり、研究活動に軍民を切り分ける必要はない。

 今回、菅政権の任命拒否問題で再び脚光を浴びた格好だが、この際全面的に見直す機会が与えられたと考え、組織の民営化を含め抜本的に改革すべきである。

【略歴】
東京麹町出身、農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒業。テキサス大学ダラス医学研究所研究員などを経て、87年に東京大学教授。同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に同大学名誉教授。現在、公益財団法人食の安全・安心財団理事長で、専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクマネジメント。

主な著書に『証言BSE問題の真実 全頭検査は偽りの安全対策だ』(さきたま出版会、2019年)、『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム、2014年)、『暮らしの中の死に至る毒物・毒虫60』(講談社、2000年)など多数。 

(文責 国基研)
 

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