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2024.07.26 (金) 印刷する

「アベノミクスの成長戦略ー衰退途上国にならないためにー」 松元崇・国家公務員共済組合連合会理事長

元内閣府事務次官の松元崇・国家公務員共済組合連合会理事長は7月26日(金)、国家基本問題研究所企画委員会において、日本が衰退途上国にならないための方策など、今後の日本経済に関する考えを述べ、櫻井よしこ理事長をはじめ企画委員らと意見交換した。

【概要】
アベノミクスの成長戦略はバブル崩壊後、失われた20年の日本経済の成長力を取り戻すことを主眼とした。その策定にかかわった経験から言えることは、民間活力による日本経済の成長という目標に、高橋是清という先達を範としながら向かうことが、今まさに求められている。

●失敗に学んだ高橋是清
高橋是清は、明治政府の殖産興業を主導した前田正名氏の薫陶を受けたことも影響し、臨機応変の財政政策で知られる。高橋は農商務省で初代特許局長(長官)を務めたが、前田の勧めで特許庁から転身し、ペルーの銀山開発に乗り出す。実際はインチキ事業だったため破産し、借金返済のため豪邸を売り払い借家生活となる。高橋35歳のときだが、この失敗などから企業経営について多くを学んだ。

幸い岩崎弥太郎の片腕だった川田小一郎(第3代日銀総裁)が高橋を建設中の日銀の現場監督として採用し、そのまま日銀で働き総裁に、そして大蔵大臣、総理大臣にまでなる。

明治政府は外国からの借金を極力しないという方針であった。清国のように外国から借金をすると植民地になるリスクがある。明治期は、その方針で経済成長を遂げた。だから健全財政が当たり前であった。

そのような中、当時日銀副総裁だった高橋は、日露戦争のため海外から多額の戦費を調達した。戦勝国となってもロシアから賠償金がとれず、財政的には負け戦となったが、失敗から学んだ企業経営のノウハウをもとに、借金すべき時には借金をすることの大切さを実践した。

高橋が大切にしたことはよく働くこと。「稼ぐに追いつく貧乏なし」を実践すること。これは二宮尊徳の精神でもある。積極財政という他人の褌では成長できない。

ケインズは経済を成長させるのは人間の力(アニマル・スピリット)だとしていた。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた下村治氏も同様に、経済成長を推進するのは人間の力(想像力)だとしていた。その言葉の意味を今こそ噛み締めるべきだ。

●アベノミクスの成長戦略
アベノミクスの3本の矢は、大胆な金融政策(金融緩和でデフレマインドを払拭)、機動的な財政政策(経済対策予算で需要創出)、民間投資を喚起する成長戦略(規制緩和など)で構成される。そのうち、成長戦略は民間活力を活性化することで成長を目指した。

しかし、実際は長年のデフレから企業経営者がアニマル・スピリットを失った状態が続いてしまった。さらにリーマンショック後の日銀の金融政策の失敗(量的金融緩和の否定)が追い打ちをかけた。その結果、円高となり国内の工場がどんどん潰れるという状況が出現し、日本が産業基盤消失の道を進むことになった。

よく、今は実質労働生産性が主要国並みに伸びているのに国民所得が伸びず、韓国や中国にも抜かれるのはなぜかということが言われる。それは、付加価値を労働投入量で割った値が実質労働生産性となるから、省力化投資で労働力が減少すれば分母が小さくなって、実質労働生産性の数値は上がるのである。しかし、企業は付加価値の増加に繋がるリスクある投資は海外に求めるので国内の成長につながらず、国民所得も伸びないのである。

このような日本は衰退途上にあるのではないか。衰退途上とは発展途上の対義語だが、このままでは決して成長は見込めない。わが国が成長を取り戻すため、民間活力を喚起する条件作りに注力することが、いま求められている。

【略歴】
松元氏は1952年、東京生まれ。76年東大法学部卒業後大蔵省に入省、80年米スタンフォード大でMBA取得、その後主計局を中心に勤務し2004年財務省主計局次長、12年内閣府事務次官を経て14年退官。現在、国家公務員共済組合連合会(KKR)理事長。

著書に『「持たざる国」からの脱却-日本経済は再生しうるか-』(中公文庫、2016年)『日本経済 低成長からの脱却 縮み続けた平成を超えて』(NTT出版、2019年)など多数。

(文責 国基研)