朴裕河氏の著書『帝国の慰安婦』を批判したい。私はすでに昨年、月刊誌『歴史通』2016年9月号に拙文「韓国で名誉毀損 朴裕河『帝国の慰安婦』をあえて批判する」を寄せて本格的に批判を行った。今回、朴氏が刑事裁判で無罪判決を得たので、日本では彼女の評価が高まった。しかし、著書が名所毀損に当たるかどうかという問題と、その主張が正しいかという問題はまったく別だ。
彼女は同書の記述によって、韓国の元慰安婦らから刑事・民事で名誉毀損として訴えられている。民事は1審で敗訴し、刑事は1審で無罪判決が出た。私も慰安婦問題について書いた拙文に対して高木健一弁護士と植村隆元朝日新聞記者からそれぞれ名誉を傷つけられたとして民事で訴えられた。前者の裁判は最高裁まで行って私の勝訴で決着した。後者は現在、東京地裁で審理中だ。私は裁判で拙文は言論の自由の範囲内にあり、裁判ではなく相互批判で解決すべき問題だと主張した。同じ意味で、朴氏への裁判についても本来なら言論による論争で解決すべきだと思っている。だからこそ、ここであらためて拙稿の一部を取り上げ、朴氏を批判したい。
●日本語版と韓国語版で違い
第1に朴氏は、「慰安婦を強制連行した」 と虚偽証言した吉田清治の評価を韓国語版と日本語版で180度転換させるという知的不誠実さを見せた。日本語版は朝日新聞から出版されている。朝日は自社の吉田に関する誤報について韓国を含む国際社会に与えた悪影響を未だに認めていない。朴氏は韓国語版で「慰安婦を『強制的に連れて行った』と語り『朝鮮人慰安婦』認識に決定的影響を与えたのは吉田清治の本だ」と断定して書き、吉田が韓国人の慰安婦認識に与えた悪影響を認めていた。その部分を拙訳で以下に紹介する。
<「慰安婦」を「強制的に連れて」行ったと語り「朝鮮人慰安婦」認識に決定的影響を与えたのは吉田清治の本『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977)、『私の戦争犯罪』(1983)だ。最近まで言論は吉田の本を「強制動員」の証拠のようにあつかっているが(『朝鮮日報』2012.9.6)、この本の信頼性が疑われはじめたのはすでにかなり前のことだ。吉田自身もその本が嘘だという批判に対して「本に真実を書いても何の利益もない(中略)事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない」(『週刊新潮』1996.3.27)といって「反論しない」(『朝日新聞』1997.3.31)と語ったことがある>(韓国語版48頁)
ところが朝日から出した日本語版では「決定的影響を与えた」という語を削除し<「朝鮮人強制連行」説を広めた>とだけ書いて、吉田評価を大きく変えている。その部分を引用する。
<自ら朝鮮人女性の「強制連行」に参加したように語って、「朝鮮人強制連行」説を広めた吉田清治の本(『私の戦争犯罪————朝鮮人強制連行』〈1983〉)を、慰安婦「強制連行」の証拠のように引用する記事は今でも続いている(「朝鮮日報」2012年9月6日付)。しかしこの本も信憑性が疑われて久しい(秦郁彦一九九九、『週刊新潮』一九九六年五月二・九日号、「朝日新聞」一九九七年三月三一日など)。一部で強調していた「強制連行」説は、信頼に足るものではない>(日本語版56〜57頁)
●吉田証言で朝日を擁護
その上、日本語版で新たに付け加えた「日本語版序文」では、「吉田証言の影響はさほど大きくありません」と以下のように朝日をかばっている。
<二〇一四年九月現在、朝日新聞はいわゆる「吉田清治証言」について誤報を出したとして批判されています。しかし、日本の多くの方が考えるのとは違って、強制連行説が世界に広まったことにおける吉田証言の影響はさほど大きくありません。少なくとも、吉田証言は韓国ではあまり知られていません>(日本語版12頁)
ちなみに韓国語版は朝日が吉田証言の記事の誤報を認める前年の2013年7月22日に発行され、日本語版は朝日が吉田証言報道を取り消し、謝罪し、朝日批判が高まった渦中の2014年11月に朝日新聞出版から発行されている。知的誠実さを欠く対応と言わざるを得ない。
次に朴氏が韓国人慰安婦と日本軍人が「同志的関係」にあったと主張した根拠は千田夏光氏の著書に引用されている日本人慰安婦の証言のみであり、学問的実証はなされていない。問題部分を刑事告発の対象となった韓国語版から拙訳で引用する。
<たとえ温かく面倒を見てもらい、愛され、心を許した相手がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは、基本的には逃げ出したい場所でしかなかったからだ。そうだとしても、このような愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的関係だったからだ>(韓国語版67頁)
朴氏の主張には根拠がない。朴氏は上記表現の前に、韓国人元慰安婦らが、お客であった日本軍人との間で恋愛感情が生まれたり、親切にしてもらったりしたなどと語る証言を、慰安婦問題で日本政府に謝罪や賠償を要求している「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が編集した『証言集』から8つ引用している。しかし、そのような関係は戦地以外の公娼制度の下でもよくある話だ。「同志的関係」というからには同じ戦争を戦うという意識がそこになければならないはずだ。
●小説を論拠にする無理
また、朴は慰安所で軍事訓練を受けたという韓国人元慰安婦の証言も紹介している。しかし、彼女たちがそれをしながら内心どう思っていたかは不明だから、それだけで「同志的関係」とは言えない。朴氏は「『こんな体の私でもお国の為に働けるのだ』と思った」と語る慰安婦の証言を千田夏光の著書から引用紹介しているが、これは日本人慰安婦の証言だ。つまり、朴氏は朝鮮人慰安婦と日本軍の間に「同志的関係」があったことを証明できていないのだ。
たしかに、当時の朝鮮人の中にはあの戦争を自分の戦争だと考えて、特攻隊で戦死した者もいた。それは比較的学歴の高い知識層だったと思われる。朝鮮人慰安婦は小学校もまともに出ていないような貧しく低学歴の者たちが大部分だった。彼女達は食べていくため目の前にあることをこなしていただけで、大東亜戦争の大義や国体護持など頭になかっただろう。
朴氏は、朝鮮人慰安婦は植民地支配の結果、慰安所に送られ「地獄」のような生活をした。戦地でレイプされた占領地の女性とはその点異なる、と主張する。本のタイトルが「帝国の慰安婦」とされているのもここに理由がある。朴氏はその議論の上で、日本政府に対して植民地支配の贖罪のために韓国人元慰安婦に謝罪し補償すべきだと主張する。
ところが朴氏の立論の基礎である日本軍と朝鮮人慰安婦の「同志的関係」は立証されていない。そして、韓国人元慰安婦らは「同志的関係」という表現に怒って名誉毀損の裁判を起こした。朴氏の立論には根本的欠陥があると言わざるを得ない。
これ以外にも、創作がまじっていることが判明している千田夏光の著作を史料批判なしに19回も引用していることや、小説の表現を論拠に論を進めていることなど、議論の進め方があまりにも厳密さにかけることも指摘しておきたい。