公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.06.24 (月) 印刷する

安倍首相のイラン訪問に思う 石﨑青也(元中東協力センター常務理事)

 中東の大国イランと米国の対立で軍事的に緊迫する中、6月12日、安倍晋三首相がイランを訪問し、仲介役としてロウハニ大統領、最高指導者アリ・ハメネイ師と相次いで会談した。石油会社の役員だった亡父、石﨑重郎も今から66年前の1953年8月、英米の支援を受けたクーデターでモサデク政権が崩壊した直後、石油資源確保のためテヘランを訪問し、日本政府の意向も体して地下に潜った最高指導者アヤトラ・カシアニ師に会見したことを思い出した。
 終戦からわずか8年目という日本の復興期に亡父が果たした民間資源外交と今回の安倍総理のイラン訪問を安易に比べるつもりはないが、安倍・ハメネイ会談にカシアニ師と会見した亡父のことが重なって映るのである。
 折しもペルシャ湾情勢は今、再び緊迫の度を増している。ホルムズ海峡でのタンカー攻撃は国際社会を脅かしている。カシアニ師、ホメイニ師、そして現在のハメネイ師と、絶対的宗教権力を最高指導者と仰ぐイランは、その宗教的頑迷さの中で翻弄されているようにも見える。
 「独善的な宗教観はホモサピエンス共存の前に立ちはだかる大きな壁である」と友人の一人は分析したが、資源を持たない我が国にとっても「石油の確保」という宿命は、官民挙げての重要課題である。
 様々な思いを込め、その時の亡父の随想録(1981年5月記述、太字部分)をご参考までに一部を以下に紹介したい。

昭和28年(1953年)9月初旬 テヘランにて(右より)大協石油常務 石﨑重郎、イスラム最高指導者 アヤトラ・カシアニ師、播磨造船 神保相談役、同 吉川取締役

 日章丸事件で英国は更に強硬手段に出ようとしているし、日本政府としても日英通商協定問題で頭の痛い矢先でもあった。緒方竹虎副総理(第4次吉田内閣)は秘かに人を介して、むこう(イラン)へ行ったら、是非、最高指導者アヤトラ・カシアニ師に会う様に示唆までしてくれた。
 戒厳令下、カシアニ師の質素な半地下の居室に案内された。短躯、七十歳を越え乍ら、さすが眼光鋭いが、話好きの好々爺といった感じである。以下は私との会話の一部である。
「日本人は、有史以来ただ一国で英米を相手にして戦った偉大な国民である。同じアジアの民族として誇りに思う」
「ありがとうございます。しかし完全に負けました」
「この次に勝てばよい。日本は戦後の努力で工業の復興も目覚ましいと聞いているがどんな物が出来るか」
「何でも出来ます。トイレットペーパーから軍艦まで」と答えると、「イランからは油は欲しいだけ分けてやるから、今度来るときは、マガジンを持ってきてくれ」と言う。
 何のマガジン(雑誌)かと思ったが、すぐに火薬のことだと気づいた。「何に使うのか」と聞き返すと、「宗教を広めるためにもいろいろ必要なのだ」という。まさしく右手に剣、左手にコーランである。
 我が国に対して余ほど関心を持っていたのであろう。帰国に際し、師は次のような『日本国民へのメッセージ』を私に託した。以下はその一部である。

  1. 全能、全知、普遍の神はいたずらに人類を創り給うたものではなく、獣類に勝る特権を与え給うたが故に人類は知性に導かれて、神を天地の創造者として知ると共に神の預言者に導かれて、その教えに従う事によって、現在未来に亘ってその勝れた地位を持ち続けることが出来るのである。イスラムの布教には明らかに牧師を必要とするが故に、貴国民が望むならばいつでも優れた布教使節団を送るであろう。
  2. アジアの諸国は常に世界の強大国の貧欲な搾取に晒されて来た。それを防ぐには我々は宗教の頑迷さや、民族の差別を越えた強い団結によって、第三次世界大戦の勃発を防ぎ、真の世界平和を打ち立てねばならない。多くの共通性を持つアジアの諸民族の中でも特にイランと日本は、共に古くからの歴史と文化を誇ると共に、忍耐、礼節、試練に対する不屈の精神等を享有している。
  3. 今や経済、工業の面においても、アジアの最強国の一つとなって平和的諸国の尊敬をかち得た日本は、今日では更に広く政治の均衡によって世界の平和を支えることが出来るのであるから、イラン国民は特に貴国との友好関係を促進したいと念願している。私は速やかに両国間の外交関係が復活されることを切望する。イランとしても、日本の市場に石油以外にも、鉱石、食糧、塩、綿、羊毛、皮革等を好意的な価格で供給できる。私はイランと日本の両国民に対して相互の交易を推進すると共に、特にバーター方式によって、両国の要望が満たされることを勧めたい。

セイド・アボルカッセム・カシアニ(署名)

 カシアニ師がメッセージの中で敢えて指摘した「宗教的頑迷さ」とは何であろうか?他の宗教を批判するものであれば、それ自体がReligious Bigotryである。独善的な宗教が政治の上に君臨するならば、それこそ「神が与え給うた知性」によってせっかく国民が勝ち得た自由なる精神も再び歪められて、独裁と呪術の権力だけがはびこる結果となるであろう。

1981年5月 石﨑重郎 記