公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.11.24 (火) 印刷する

デジタル化に苦悩する出版界 斎藤禎(国基研理事)

 コミックの『鬼滅の刃』が、映画化などさまざまな波及効果で空前のブームとなっている。また、フリーランスライターへのセクハラや報酬未払い問題があったり、出版界は何かと話題が多い。「出版は不況に強い」という神話が新型コロナ禍でも生きているように見える。しかし、これはまったくの誤解だ。数字が如実に物語る。

出版界の売り上げのピークは1996年で、書籍と雑誌を合わせて2兆6000億円だったが、現在はその半分以下の1兆2400億円となっている。書店数も1万5000から8000に減ってしまった。3000社といわれる出版社の従業員と8000店の書店員が、現下のコロナ禍にあってトヨタ一社の経営利益にはるかに及ばない売り上げで生活をしている。

旗艦雑誌休刊の衝撃

この秋、本の街・神田神保町界隈で話題になったことがある。女性誌『JJ(ジェイ・ジェイ)』の休刊(不定期刊行へ)である。『JJ』といえば女子大生必携と謳われ、刊行形態は違うがマガジンハウスの『アンアン』、集英社の『ノンノ』と同様、光文社の旗艦雑誌だった。

いま、出版界は、コミック・漫画を持ち、コンテンツ・ビジネスを展開している出版社と、そうでない出版社で大きな差がついている。

出版情報誌『出版人・文徒』によれば、『鬼滅の刃』の版元、集英社の直近の決算では、売り上げ1530億円、経常利益300億円だが、印刷媒体に頼る光文社は、売り上げ185億円、経常損失15億円となっている。意欲的な『古典新訳文庫』を持ちながらの赤字である。漫画のコンテンツ・ビジネスを展開する講談社、小学館などは業績好調である。

もともと、出版業は社長が編集者と販売部員を兼ね、机ひとつと電話が1本あれば商売が成り立つと言われてきた。昭和の40年代になると、そこにコピー機が加わった。

ファックスは昭和55年でも貴重だった。筆者が在籍した文藝春秋でも、ファックスは倉庫と販売をつなぐデータ管理用の1台しかなかった。

戦後憲法の虚妄と占領軍の理不尽な検閲を描いた江藤淳の『一九四六年憲法―その拘束』は、日系企業のワシントン(D.C.)事務所のたった1台のファックスを借用して彼の地の江藤と連絡を取り合い、万年筆書きの原稿を受けたものだった。

電車から消えた週刊誌

昭和も終わりごろになるとワープロ、パソコンが導入されたが、平成から令和に時代が変わると機械化・電子化が急速に進んだ。

ツイッターなどのSNS(交流サイト)が盛んになり、スクープは瞬く間に希釈される。

コロナ禍で外出が制限されたこともあって、今ほとんどの雑誌は、技術の巧拙はあるが、デジタル版を持っている。朝の電車の中で新聞を読む人が皆無であるように、週刊誌を手にしている人もいなくなった。

日本の有力出版社が加盟する業界団体に日本雑誌協会がある。週刊や月刊など刊行形態が異なるので安易な比較は禁物だが、ここから印刷証明付部数(発行部数)が公表されている。

実売部数は発行部数の70~75%と推量してほしいが、いくつかの雑誌の発行部数を引いてみよう(数字は2020年)。

『週刊文春』は52万6000部で断然トップだが、“文春砲”と持て囃されてこの数字である。採算点ぎりぎりといわれる。村上龍の芥川賞受賞作や『昭和天皇独白録』で100万部を売った月刊『文藝春秋』は34万部。戦後100万部雑誌として一時代を築いた『週刊朝日』、『サンデー毎日』は、それぞれ9万9000部、5万7000部と見る影もない。

純文学4誌では、『新潮』、『群像』(講談社)が6000部、『すばる』(集英社)が5000部、『文學界』(文藝春秋)が9000部。中間(大衆)小説3誌では、『小説すばる』9000部、『小説新潮』1万1033部、「オール讀物」が3万7000部となっている。

『文學界』と『オール讀物』の部数が多いのは、芥川賞、直木賞の勧進元・文藝春秋の刊行物だからである。改めて創業者菊池寛の経営の才がしのばれる。

文学青年は絶滅危惧種

歴史小説で名高い吉村昭は、生前、「大企業の社長さんで私のファンですという方にお会いしました。この方が、『あなたの新刊文庫本を公共図書館で予約しました』とおっしゃるのです。驚きました、本にはお金を使わないのですね」と苦笑まじりに語ったことがある。

かつては、執筆者に取材費を提供し、社員にも少なからぬ給料を払っていた出版社は、雑誌・書籍ともグーテンベルク以来の紙の本離れ、デジタル化に怯えている。

漫画・コミックがなければ出版社は崩壊寸前、と言われても仕方がない。集英社の週刊『少年ジャンプ』を600万部という空前の大雑誌に押し上げた編集者の一人は、「会社が『明星』や女性誌で儲けているころ、売れる当てのない漫画雑誌の編集者は辛かった。会社の廊下を『漫画の人間は隅っこを歩け』といわれたものです」と言う。

時代は変わっていく。

旧来の本に魅せられた文学青年や哲学青年などとっくに絶滅危惧種なのである。(敬称略)