平成14(2002)年9月17日、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問した。あれから21年、当時「救う会」全国協議会の事務局長だった私にとっては、ついこの間の出来事のように感じられる。しかし今、私が大学で教えている学生はそのころ生まれた子たちである。最近取材に来る若い記者さんも当時小学生だったとか、もうそういう時代になっているのだ。私たちの世代が共有しているあの日の衝撃は、歴史の彼方に遠ざかりつつある。
「交渉で全員帰国」の幻想
拉致には「現状維持」は存在しない。1日過ぎれば1日分、被害者と家族の寿命は縮まるのである。21年前46歳だった私も今は67歳。この間、何人のご家族とお別れをしたか分からない。言うまでもなく、その間に拉致被害者でも北朝鮮の地で亡くなった人は何人もいるだろう。
安倍晋三政権以来、歴代首相は皆、拉致問題を「国政の最重要課題」と言ってきた。では何をしたというのか。外務省も官邸ルートも色々動いてきたことは事実だが、結局は交渉で何人か帰国させて終わりにするのではないかと疑わざるを得ない。その「何人か」も結局は横田めぐみさんや有本恵子さんら政府認定拉致被害者の一部でしかない。前に当欄で指摘したが、政府認定拉致被害者の田中実さんや特定失踪者の金田龍光さんは、名乗り出ている家族がいないということで、北朝鮮側が国内にいることを認めても(ということは返す意思もあるということ)突き返したのだ。
月刊「文藝春秋」10月号に飯島勲内閣参与が「横田めぐみさん奪還交渉記録」と題して寄稿している。おそらく飯島氏は北朝鮮側にとっても重みのある存在で、交渉も本気で乗ってきただろう。しかし、「奪還交渉」というのは言語矛盾である。「奪還」は無理矢理取り返すことであり、「交渉」というのは相手も納得して帰国させるということだ。あの独裁国家が一部ならともかく、何人いるか分からない(日本政府はもちろん、金正恩総書記を含め北朝鮮のいかなる機関も個人も正確には把握していないはずだ)拉致被害者を交渉で全部返してくるはずがない。
被害者を取り戻す覚悟
平成17(2005)年6月14日、参議院内閣委員会で拉致被害者の救出について「いつまでに、どのように、何をするのか」と聞かれた細田博之官房長官(当時)はこう答えた。
「先方も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々の今の方針でございます」
この方針は今も変わっていない。「粘り強く」待っているうちに皆死んでいく。そうしないためには政府の方針自体を変えさせるか、政府に任せず民間でやるかしかない。21年経って何も変わっていないのだから、我々はもう覚悟を決めるべきではないか。(了)