陸上自衛隊の第32普通科連隊(埼玉県大宮駐屯地)が4月5日に硫黄島で日米合同の戦没者追悼式に参加したことをX(旧ツイッター)の公式アカウントで紹介した際、先の戦争を「大東亜戦争」と呼んだのを問題視する記事が7日の朝日新聞デジタル版に掲載された。
筆者は、以下の二つの理由で、大東亜戦争の呼称を問題視する朝日新聞こそ、占領軍に押し付けられた歴史観に立っていると糾弾したい。
政府の正式名称は「大東亜戦争」
昭和16年12月10日の大本営政府連絡会議で、日本はこの戦争の名称を「大東亜戦争」と正式に定めた。朝日新聞はこの名称の使用を問題視しているが、防衛庁として編纂した戦史叢書は「大東亜戦争」で統一されている。
「太平洋戦争」は、戦後、米国が武力戦に続く思想追撃戦の一環として日本国民に強いた呼称である。昭和20年12月8日以降、各新聞にこの呼称の使用を命じた時から、昭和23年2月に極東軍事裁判のキーナン首席検事の最終論告に至るまで続いた宣伝計画の中で、日本人に、この戦争は罪であったと思い込ませるために利用された言葉だ。
日本人は皆、「大東亜戦争」と呼称して戦い、戦死していったのであり、その兵士を追悼する場で使用するのは極めて当然のことである。
実態を表さない「太平洋戦争」
米国人にしてみれば、先の戦争は太平洋の権益を守り、拡張するための戦いであり、まさに「太平洋戦争」であった。19世紀からハワイ、フィリピンを植民地とし、戦域も太平洋が中心であったので、アメリカが「太平洋戦争」と呼称するのはごく当然である。
しかし日本は、支那事変を含め、対米英支(中国)蘭(オランダ)戦争を総称して「大東亜戦争」と公式に呼称した。戦域も東亜(東アジア)諸地域を中心に太平洋にも広がっていった。英国とはシンガポールやインパールで戦い、オランダとはインドネシアで戦った。中国とは中国大陸で、また終戦の契機となったソ連軍の侵攻は満州や樺太、千島で行われている。
日本人は東アジアで戦ったのだ。「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」と呼称することが、日本人として精神的な独立を図る第一歩である。(了)