ロシアの侵略に対するウクライナの防衛戦で、これまで北大西洋条約機構(NATO)は欧米がウクライナに供与した武器でロシア領内の目標を攻撃することを認めてこなかったが、最近になってNATO要人がこれを認める発言を始めた。ウクライナの防衛戦で「専守防衛」が効かないことを立証した形になり、日本も国是としてきた専守防衛を見直す契機とすべきだ。
ウクライナのロシア領攻撃容認へ
5月26日、NATOのストルテンベルグ事務総長は、英誌エコノミストとのインタビューで、NATO加盟国はウクライナがロシア領内の軍事目標を攻撃できるよう、供給する兵器の利用に関する制限を緩和するべきであると語った。
これまで、ウクライナに供給した兵器の利用に米国やドイツなどが慎重な姿勢を取り続けていたが、24日に米国務省のミラー報道官は、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)のインタビューで、ウクライナが米国製以外の武器を使ってロシア領を攻撃することを容認する可能性を示唆し始めた。
要するに、ウクライナが自国の防衛を全うするためには、自国領内で侵略するロシア軍をたたくだけでは勝てず、ロシアが攻撃に必要な弾薬・燃料などの後方支援をしている策源地を攻撃しなければならないことを意味している。
この事実は、戦後日本の防衛政策の基本であった専守防衛では、日本の防衛を全うできないことを示しており、日本もこの政策を変更すべき時に来ている。
兵理に背く専守防衛
武道を含む全てのスポーツにおいて、攻撃を認めず防御だけで勝利することはできない。これが戦いの原則、すなわち兵理である。元来、「戦い」という言葉は「たたき合い」に源を発しており、攻撃が戦いの本質である。攻撃と防御は相互に補足して戦いを形成する不可欠の二大要素であり、両者を矛盾する概念として捉えず、一体のものと考えるべきだ。
「攻撃は最大の防御」という概念にも普遍的妥当性はない。筆者は剣道を嗜んでいるが、面を打てば胴が空くのであり、動けばそこに隙ができる。攻撃万能とも言えず、正しくは「防御でも最も肝要なのは攻撃精神」と言うべきであろう。攻撃してくる敵に対し、単に防御するだけでは敵の自滅を待つ以外になく、攻撃行為を伴わなければならない。これが戦いの本質である。したがって、その目的・動機が自衛なのか侵略なのかを論ぜずに、手段としての攻撃のみを見て、攻撃であれば侵略であり、非平和的だと決めつけることは妥当でない。
こうしたことを総合的に考えれば、専守防衛などといった固定的な考え方が、いかに兵理上の矛盾を含んでいるかがわかる。一般大衆やマスコミに媚びたスローガンが兵理上の妄語となって自衛隊を毒している。(了)