韓国政府は、北朝鮮が風船でゴミを繰り返し送り付け、全地球測位システム(GPS)利用を妨害するなど有害行為をしていることに対して、「北朝鮮が耐え難い措置を取る」として6月9日午後、対北拡声器放送を6年ぶりに再開した。対する北朝鮮は同日夜にまたゴミ風船を飛ばすとともに、10日朝、「強力な対応を取る」と金与正副部長談話で脅した。
韓国内の左派は、北朝鮮が拡声器の銃撃など軍事挑発を仕掛ける可能性があるとして、尹錫悦政権の強硬姿勢を批判している。しかし韓国軍は、もし北朝鮮が軍事挑発を仕掛けてきたら上部に報告せず現場の判断で即時に強力に報復せよと前線部隊に命令しているので、通常兵力で韓国に劣る北朝鮮はゴミを送る以外に何も出来ないと見る向きも多い。
汚物には汚物を
5月10日、脱北者人権活動家が大型の風船20個にビラ30万枚、韓国のドラマや歌謡が入ったUSBメモリー2000個を付けて、北朝鮮へ飛ばした。風向きが良く、ビラは平壌やその近くまで届いたという。北朝鮮西部の南浦市にある労働党の建物の屋根にも大量のビラが到達したらしい。ビラには、金正恩総書記の母が在日朝鮮人の踊り子出身で、母の父親は日本統治時代に日本軍に協力していたことなども書かれていた。北朝鮮当局はいまだに金総書記の母について触れることを禁止しており、母の出自に触れたビラが大量に撒かれたことに金正恩、与正兄妹は激怒したという。
そこで、脱北者のビラを「汚物」と呼んでいる北朝鮮は、こちらは本当の汚物を送るとして、動物の糞やたばこの吸い殻などが混じったゴミを風船に付けて南へ飛ばした。本来なら北朝鮮の体制の素晴らしさを伝えるビラを韓国民に送るべきだが、豊かになった韓国にもはやそのような心理戦は通じないと北朝鮮当局も分かっているので、ゴミを送るという常識外れの行動に出た。
かつては南北相互にビラ送付
ビラ送付は対北朝鮮心理戦の一環として韓国軍が1960年代から継続して行っていた。南北の経済水準が70年代前半に逆転した後、パンティーストッキング、フィルター付きたばこ、簡易ライター、ボールペンなどを一緒に送り、韓国の豊かさを北朝鮮住民に知らせるという点で大きな成果があった。
北朝鮮も韓国に体制の優越性を宣伝するためビラを送っていた。筆者は70年代後半から80年代初め、ソウルで北朝鮮のビラを拾ったことがある。平壌市内の風景がカラー写真で掲載され、主体思想によって人民が幸せに暮らしているなどという宣伝が書かれていたことを覚えている。
90年代から2000年代になると、南北の経済格差は隠しきれないほど大きくなり、心理戦で北朝鮮は守勢に立たされた。そこで、2000年の南北首脳会談で金正日総書記が金大中大統領に相互批判の停止という美名の下、対北朝鮮ビラ停止を求め、金大中政権がそれを受け入れて軍によるビラ送付を停止してしまった。その後の保守政権下でも政府によるビラ送付は再開されず、現在に至っている。
立ち上がった脱北者団体
そこで立ち上がったのが脱北者人権活動家や韓国の保守団体だ。北朝鮮が軍事挑発をするなら我々は北朝鮮住民に「愛の手紙」を送って真実を知らせようと、自分たちで資金を集めてビラ送付を始めた。筆者も2010年頃、脱北者活動家や韓国保守団体と共に休戦ライン近くまで行って、日本人拉致被害者救出への協力などを求めるビラを飛ばしたことがある。
文在寅政権になり、脱北者が送ったビラに激怒した金与正副部長が韓国に強く抗議すると、何と文在寅政権と当時の与党「共に民主党」は2020年12月にビラ送付を禁止する法を制定してしまった。その後も一部の脱北者団体は、真実を伝えることは罪ではないという信念でビラ送付を続けた。そして、尹錫悦政権下の昨年9月、憲法裁判所がビラ送付を禁じた法の規定は「表現の自由を過度に制限する」として、違憲の判断を下した。風向きの関係で対北朝鮮ビラは春と秋にしか送れないので、今回、春になりいくつかの脱北者団体が堂々とビラを送付したという経緯だ。(了)