公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2025.01.20 (月) 印刷する

昭和百年に敗戦史観を克服しよう 髙池勝彦(国基研副理事長・弁護士)

大正15(1926)年12月25日、大正天皇の崩御により昭和天皇が践祚され、昭和が始まつた。昭和元年である。1925年の今年は昭和百年となる。

実現した「昭和の日」

昭和天皇は、昭和64(1989)年1月7日に崩御され、平成となつた。昭和天皇のお誕生日は4月29日である。昭和時代は「天皇誕生日」(昭和22年までは「天長節」)の祝日であつた。崩御された後も、昭和といふ時代を偲ぶためにこの日を祝日として残すべきだといふ声が大きく、「みどりの日」と名前を変へて祝日として残ることになつた。しかし、その直後から、昭和の時代を偲ぶのに「みどりの日」では欺瞞ではないかとの声が国会の内外で起こり、私は他の人々と共に「昭和の日」実現のために努力した。

平成12(2000)年、祝日法改正案が参院を通過したが、衆院解散で廃案となつた。平成14(2002)年、改正案が衆院を通過した後、またもや解散となつて廃案となつた。平成16(2004)年、3度目の法案提出で、翌年に祝日法改正が実現し、平成19(2007)年から4月29日が「昭和の日」になつた。祝日法では、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と祝日の趣旨が規定されてゐる。

次は「明治の日」だ

同様の祝日に「文化の日」がある。11月3日は明治天皇のお誕生日であり、明治時代は天長節といふ休日であつた。明治45(1912)年、明治天皇の崩御によりこの日は天長節でなくなつたが、国民の間に明治維新、日清、日露両戦争を経て近代国家として成長した明治時代を偲ぶために休日として残すべきだといふ運動が広がり、「明治節」といふ祝日となつた。戦前の休日で民間の運動によつて制定されたものは、この明治節だけだとのことである。

明治節は国民に親しまれた休日で、戦後も国民が残したい休日のトップであつたが、占領軍がそのまゝの名称で残すことを許さず「文化の日」と改称された。私共はこの「文化の日」を「明治の日」に改めるべく、平成20(2008)年から運動を始め、令和4(2022)年、漸く明治の日実現を目指す議員連盟が結成されたが、まだ実現されてはゐない。

自主憲法で日本創生を

明治と昭和は、日本の歴史上、記念日を設けるにふさはしい歴史を有する。明治の日については上述のとほり。

昭和は、大東亜戦争とその敗北、占領、それからの経済復興がある。昭和百年は元年から敗戦までの20年とその後の80年とに分かれる。昭和を戦前と戦後に分けて戦前を否定しようとしたことが敗戦史観である。敗戦史観が主流となつて、昭和45(1970)年に三島由紀夫は「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな国が残るだけだ」と言つた。

文芸評論家、新保祐司氏の「昭和100年と戦後80年の超克の道」と題する見事な論文がある(産経新聞本年元旦「正論」)。戦後80年は倫理的腐敗の時代であり、「(昭和百年の)今年は、溶解しつつある戦後的な在り方に代わって、勇者の作る義の国・日本を創造する始まりの年にしなくてはならない。」といふものである。

ここで、敗戦にあたつて日本人は何を一番望んだかを思ひ起こさなければならない。それは「國體の護持」である。「國體」はきはめて多義的であるが、要するに我が国の国柄である。我が国の国柄を徹底的に破壊しようとしたのが占領軍であることを思へば、占領軍の行つた政策を再検討しなければならない。もつとも代表的なものは憲法である。自主憲法の制定こそが昭和百年にあたつて我々がやらなければならない第一歩である。(了)