公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

国基研ろんだん

2014.07.23 (水) 印刷する

英国史家A.J.P.テイラーの満州事変論 島田洋一(福井県立大学教授)

 第二次大戦終了から70年、対華21箇条から100年等に当たる来年2015年は「歴史大戦」の年になる。中国や韓国さらには米ロなどからも、東京裁判史観を基本とした日本糾弾の矢が放たれてこよう。
 日本国内でも、左翼政党や日教組を中心に、「危険な安倍政権による憲法改正の動きを阻止するためにも『平和憲法以前の日本=侵略暗黒国家』というプロパガンダの徹底を」という運動が大々的に展開されてこよう。
 政府部内でも、外務省などは、村山・河野談話の堅持と謝罪・反省の徹底で対処を、例によって「先制降伏」と「逃げの反論」で臨むよう安倍首相に強く進言してくるだろう。
 これに対し、よりバランスの取れた歴史観に基づく新談話を出せるか、安倍政権の重要課題となる。
 もっとも歴史戦は長期戦である。「来年」に向けた焦慮ではなく、国として必要なのは、「歴史力」を磨く地道かつ広範な努力であろう。
 単細胞生物から複雑な有機体へ、が進化とすれば、村山談話は明らかな退化である。海外の著名な歴史家の論考からそのことを示していくのも、国際情報戦を戦う一助となろう。
 以下、この「ろんだん」における第一弾として、英国の史家A.J.P.テイラーの満州事変論を引いておく。テイラーの『第二次世界大戦の起源』(A.J.P.Taylor, The Origins of the Second WorldWar)は1961年の出版以来、数々の議論を巻き起こしつつ今も版を重ねる名著である。
 「1931年9月18日、日本軍が、理論上は中国の一部である満州を占領した。日本側には十分な言い分があった。中国の中央政府の権力は(どの地域でも強くはなかったが)、満州に及んでいなかった。そこは久しく無法な混乱の状態にあった。日本の交易上の権益はひどく損なわれていた。中国では、列国が単独行動に出た先例は多々あり、その最も近いケースは、1927年のイギリスによる上海上陸だった」。
 国際連盟が派遣したリットン調査団の検証報告について、テイラーはこう書いている。
 「調査団は単純な決定には至らなかった。日本側の苦情のほとんどは正当なものと認められた。日本は侵略者として非難はされなかった。もっとも、救済のためのあらゆる平和的手段が尽くされる前に軍事力に訴えた点で非難はされたが」(以上、拙訳による)。
 村山首相談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(1995年)より30年以上前に、戦勝国英国の史家によってなされた記述だが、はるかにふくらみがある。村山談話を退化と断ずるゆえんである。