ジョージ・W・ブッシュ政権後半期の対北朝鮮政策は、コンドリーサ・ライス国務長官、クリストファー・ヒル国務次官補主導のあくなき妥協と譲歩に流れ、この両氏自ら、後に失望を表明せざるを得ない結果に終わった。
ヒル次官補は北の核問題をめぐる六者協議の米側主席代表でもあったが、その下で、次席代表として、やはり宥和策の中心にあったのがビクター・チャNSCアジア部長であった。氏の表現に従えば、ブッシュ大統領に繰り返し「柔軟性」を求めたということになる。
韓国系米人のチャ氏は2012年に出した著書『不可能な国』(Victor Cha, The Impossible State)で、1994年の枠組合意以来の米朝関係を振り返り、米側は「ムチよりより遙かに多くのアメ」(far more carrot than stick)を提示し、交渉を通じた核問題解決を目指したが、「すべて惨めに失敗した」と総括している。
チャ氏は、北の挑発的と見える核実験やミサイル実験などは結局すべて、「核兵器と弾道ミサイルの性能を上げたいという願望」に基づくのではという単純明快な知見に行き着いたという。この当たり前の結論に氏が至ったことは慶賀したいが、その程度は始めから理解している人物を要職に起用すべきだったろう。
著書で、チャ氏は拉致問題にも触れ、5人の拉致被害者が「一時帰国」した際、彼の地で生まれ育ち日本に知り合いもいない子供たちは同行させないという「実際的な措置」に世論が反発し、日本政府が「北との約束に反して、彼らをとどめ置かざるを得なくなった」ことが非常な悪循環を招いたと解説する。
さらに氏は、その後の日朝協議を描写し、「すでに言ったとおり、めぐみは死んだ」(北)、「そちらはそう主張するが、われわれは生きていると考える」(日本)、「いや、彼女は死んだ」(北)、「いや、生きている」(日本)、「いや死んだ。5人以外は皆死んだ」(北)…で話し合い打ち切りという「小学校レベルに堕してしまった」と冷ややかに切り捨てる。
日本の交渉担当者に疑問ある人物が少なからずいたのは事実だが(チャ氏はそうした宥和主義者は逆に評価するようだ)、日本側は北の資料偽造を指摘するなど事実に基づいた議論はしており、小学生レベルなのは、チャ氏の拉致問題認識の方と言えよう。
ところで、昨2013年5月、古屋圭司拉致担当相以下、家族会、救う会、調査会の代表らが訪米して、ワシントンで「日本政府主催拉致問題シンポジウム」を開いた際、日本の官僚機構が米側有識者としてゲスト・スピーカーに招いたのが、他ならぬビクター・チャ氏であった(もう一人は、やはり宥和派のロバート・キング国務省北朝鮮人権問題担当特使)。
ワシントンには、チャ氏と同等以上の専門知識を有し、拉致問題に明るく、理念的にも信頼できる人々が少なからずいる(彼らは、「米側のゲストが魅力的でない」〈某上院議員補佐官〉などとして、多く会場に来なかった)。
はたして国際情報戦のさなかにあるという意識を充分に持った人選だったと言えるか、大いに疑問であろう。
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