公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2016.05.13 (金) 印刷する

中国の「反日」との戦い方―西岡力氏に問う 富坂聡(拓殖大学教授)

 西岡企画委員の直言「許し難い中国反日記念館の冒瀆行為」(平成27年11月24日)からに対し、私なりの視点から意見を申し上げたいと思います。
 ただ直言を読み、私は少々戸惑いを覚えています。というのも、そもそもの論点は「中国に対して歴史戦を仕掛けるべく政府がそうした組織を立ち上げるべき」という西岡企画委員の提案――しかも話題の中心は南京大虐殺であった――であり、それに対し私が懐疑的であったことを受け、論争を国基研論壇の場に移そうという流れであったからです。
 しかし、西岡企画委員の直言を読めば明らかなように「日の丸を踏む仕掛け」が「けしからん」のは当たり前のことです。「日本政府が抗議すべき」という意見にも反対する理由は見つかりません。韓国云々のくだりについてはなおのことです。敢えて言えば、ネットの中にすでに膨大な書き込みも見つかるこのテーマを、いまあらためて取り上げる提案理由が解らないという点でしょうか。
 もちろん、それでは論点が成立しませんので私から一石を投じたいと思うのですが、その前提として西岡企画委員がこれまで拉致や従軍慰安婦問題で積み重ねてこられた数々の研究や活動に対し深く敬意を表します。
 さて、本題ですが、私がなぜ「中国に対して歴史戦を仕掛けるべく政府がそうした組織を立ち上げるべき」という西岡企画委員の提案に首をかしげたのか。理由は少なくとも二つあります。一つ目は国際社会の場で宣伝戦を戦う日本人の能力に単純に不安を覚えている点です。二つ目は、いまそれを優先的に仕掛ける必要があるのかという疑問です。
 一つ目の能力について、まず国際社会と向き合う日本人の姿勢です。私は、日本人がよく「習近平は嘘つき」、「中国は信用できない」と怒る場面に接します。あまりに多いので普段は聞き流しますが、心の中でこう反論します。「あなたはまさか、信用しようとしていたのですか?」「世界には中国に限らず信用してよい国などありませんよ」、「国際社会において相手に誠実を求めるのであれば、こちらが相手を誠実にさせる力(これは単純に武力のこととは考えないでいただきたい)を持つことが最低条件ですよ」と。
 こんなナイーブな感覚で戦いを維持できるのでしょうか。例えば「歴史戦を主張する人に」、日本が歴史戦を挑んだ場合に考えられる中国の反撃のパターンを「試みに10ケースほど列挙し、そのそれぞれに対処法を示してください」と提案し、それができるのでしょうか。西岡企画委員にも是非、これを挙げてほしいと思います。どれほど戦う相手が見えているのかが、分かるはずです。
 「いや、それを考えるために組織を立ち上げる」という理屈は通用しません。相手がこちらの態勢が整うまでのんびり待ってくれる戦いなどありませんから。
 私は2008年、北京オリンピックを成功させた後に中国が政策変更し海への進出を本格化させるという予測の下に『諸君』で連載を始め、『平成海防論』を世に問いました。中国の政策変更と連動した形で最も早期に尖閣諸島問題で警鐘を鳴らした本だと自負していますが、尖閣諸島をめぐる日中の応酬が激しさを増すに従い、日本の政策はどんどん勇ましい声を発する人々の意見に引きずられて行きました。その結果、日本は自ら付け入る隙を相手に提供し、それ以前には普通にできていたことができなくなるという事態に追い込まれてしまいました。いま海上保安庁の手足が強く縛られている現実が何よりもそれを物語っています。
 これは明らかな敗北です。本来、外国に戦いを仕掛けるのであれば必ず勝たなければなりません。そして勝てなければ責任を取らなければなりません。
 しかし現実は、勇ましいことを言うだけの政治家が票を稼ぎ、コメンテーターはテレビ出演で出演料を稼いでいます。その一方で国は痩せてしまうのに、誰も責任は取りません。すべてが「中国が悪い」という一言で片づけられてしまうからです。
 しかし、同じように中国と(南シナ海で)争っていたベトナムはどうでしょうか。日本から大きな援助を獲得したにもかかわらず中国とは完全に友好関係を取り戻し、軍事協力の約束までしています。対中貿易でも大きな利益を上げるようになり(元々ベトナムの貿易赤字であった)、アメリカとの関係もより強化しています。またロシアからは大量の武器を購入し、つながりを深めています。
 歴史背景もイデオロギーも国家体制も違いますので単純に日本とベトナムを比較すべきではありませんが、彼我の外交能力の差は明らかではないでしょうか。
 少なくとも日本が自らの敗北を「中国という無法者が隣にいる不幸」という甘えた発想に逃げ込む限り敗北は続きます。
 南京大虐殺がユネスコの記憶遺産に登録されてしまったという敗北も、まさにこの流れに位置づけられます。そしていま中国は日本からプルトニウムを取り上げるという新たな動きを、国連を舞台に本格化させています。これはかつて私自身も中国がいずれこの分野に踏み込んでくると警告したことがありますが、中国の目的は日本の核武装の可能性を完全に断つことです。日本の核武装などというと論理の飛躍が過ぎるようにも聞こえるでしょう。広島の経験から核兵器に対するアレルギーの強い日本です。しかし、一方で核の脅威は容赦なく日本にも向けられています。そうしたなか「いざとなれば日本も核武装ができる」と外国から見なされ、安全保障の観点から一定の抑止効果を果たしてきたのが、日本が大量に保有しているプルトニウムの存在です。私は核武装論者ではありませんが、外国がそう見なす安全保障上のメリットを自ら手放す必要はないと考えています。
 そして中国はいま、日本のプルトニウムの大量保有に対しその正当性と必要性を厳しく問い始め、日本の一つの選択肢を奪おうとしているのです。これはユネスコ以上の大きな変化を国際社会に中における日本の立場に与えることになるでしょう。
 中国との歴史戦の戦端を開けとけしかけた人々はこの代償として日本国にどんな戦果をもたらしてくれるのでしょうか。
 「この問題は損得ではない。言うべきことは損をしても言う」というのであれば問いたいのですが、日本はすべての「言うべきこと」を中国以外の国に対して言っているのでしょうか。個々人のレベルでも同じですが、街で出会うこと、接することのすべてに正義を実践しているでしょうか? 損得との取引はしていないのでしょうか。
 さらに問題なのは、ユネスコの敗北も日本がそこから多くのことを学び新たな方向を打ち出せたのかについて疑問が残ることです。事後に改善された点は何なのでしょうか。
「だからこそ歴史戦を戦うための組織が……」と議論がつながるのであれば、それこそ中国の思うつぼでしょう。自分たちが戦いやすいステージに日本が率先して戦力を投入してくれるのです。外交的にも平面的に広く対応されれば対処に困るところ、日本が直線的な発想に留まっているのであれば、それこそストレスは最小限にとどめられます。
 私が「歴史問題」については学術的な事実を積み重ねるアプローチにとどめ、政治・外交問題化することに消極的なのはこうした理由からですが、日中関係においては日本が態勢を整えこちらから〝仕掛ける〟前に、すでにもう一つの懸念材料が日本に迫ってきています。
 それが中国海軍による「27度線越え」という問題です。これは私が「歴史戦」に消極的である二つ目の理由――いまそれを優先的に行う必要があるのかという疑問――にもつながります。
 中国が昨年「抗日戦争勝利70周年」を強調した背景には「国連における日本の位置づけをはっきりさせる」という目的がありました。もっともこのイベントの意味は途中で大きく変わっていったのですが、当初の目的は「日本が国連の敵」であることを世界に再認識させることでした。
 国連は第二次世界大戦の戦勝国である連合国を中心に生まれた組織で、日本は敵である枢軸国側です。なかでもドイツ、イタリアと違い国体を維持した国であり、敵国という地位も引き継ぎました。もちろん1995年には日本を敵国とする敵国条項は総会の決議を経て削除されていますが、各国の批准はまだ済んでおらず、首の皮一枚で生き残っているという状態です。
 この敵国条項がいまも生きていると解釈(中国の思惑通り)できれば、連合国――敢えてこう書きます――の「敵国であった国が、戦争の結果確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動を起こした場合、該当する国が起こした紛争に対して、自由に軍事制裁を課する事が容認されている」ことになります。もちろん日本側の手足は一方的に国連憲章に縛られたままです。
 こうした不平等な現状を放置したまま「南京大虐殺の人数を30万人から2万人に減らす」ことに力を注ぐことが、日本が本当にいま採るべき道なのでしょうか。
 後手後手に回ったこれまでの日中間の応酬から類推すれば、中国の「27度線」接近にも大きな別の思惑が隠されていると見るべきでしょう。私が警戒しているのは9月3日に中国が発した「平和国家宣言」との連動です。
 日本の多くのメディアが中国の「平和国家宣言」を「どの口が言うのか」とあざ笑うのがせいいっぱいで、その真意に真剣に向き合おうとはしていませんが、中国が「平和国家」を標榜する以上、それが中国の国益に資すると判断したからなのです。
 では何が国益なのか。私が警戒しているのは、アジアのなかで日本が積み上げた平和国家としてのポジションを中国が奪おうとすることです。アメリカにとって中国が〝価値観の点〟においても受け入れ可能な国になってしまったらどうでしょうか。
 一方では日本には、「かつてのように武力で物事を解決しようとする国」との印象を世界に振りまくのです。 
 こうした状況下で東京裁判的価値観にも深くかかわる南京大虐殺を持ち出して大きな論争を仕掛けるのであれば、中国にとってはありがたい話です。
 私はむしろ、日本がいますべきは一刻も早くかつての戦争を清算し未来の日本人の生活から国連の敵という〝ウィークポイント〟を取り除いておくことだと考えますし、この時代の日本人が未来のためにしておくべき仕事だと考えます。
 単に中国との関係というだけでなく、今後世界が極端な気候変動に直面するなどによって深刻な食糧危機が起きたとき、またエネルギーの奪い合いが危機的な段階にまで達したときなど、国際秩序の理性が保てなくなるような事態に直面するケースで、はたして国連のなかで弱い立場を放置し続けた日本の立場がいったいどのように不利に働くか、誰にも想像はつきません。これを放置したままにする罪は重いのではないでしょうか。