公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2016.02.15 (月) 印刷する

18歳選挙権の愚 (その1・問題提起) 福田逸(明治大学教授)

 今さらではあるが、選挙権を18歳に引き下げるなどと愚かなことを誰が何を根拠に決めたのか。世界の趨勢? 馬鹿な。他国は他国、日本は日本(世界の趨勢というなら、自衛隊の呼称を日本軍とし、憲法9条2項を削除したらよろしい)。
 私が普段接している学生達(ほぼ19~22歳)は、日本のごく平均的なレベルの学生と思う。が、折に触れて時事問題等々をタネに議論させるのだが、多くの場合、最終的には彼らは投票権を行使するだけの知識も判断力も自分たちには備わっていないことを謙虚に認める。そして、18歳への引き下げに疑問を持つようになる。中にはもともと引き下げに否定的な学生も少なからずいる。
 有態に言えば、今の大学生は幼い。政治や社会、自分の人生や生き方について深く思索したり議論したりする訓練もなされていなければ、そういう習慣もまるでない。極論、思索ということを経験せずに大学に進む。大学紛争の季節を大学生として過ごした私から見ると、気の毒だが彼らは小中学生としか思えぬ思考力しか身に着けていない、そう言っても過言ではない。(勘違いしないで頂きたい、私は彼らが愚か者の群れだと言っているのではない。むしろ、勉学熱心で良い子たちだと思っている。)
 そんな彼らも3年生から4年生にかけての就職活動を通して、微妙に変ってくる。就活が終る頃には、先ず、顔つきが変わる。大人びてくる。なぜか。言うまでもないこと、自分の将来や人生を見つめ始めるのだ。そして就活を通して、社会(現実)に接し、社会人(大人)に触れる。大学(小中高校)という温室から漸く現実社会に踏み出すことで、様々なことを自分の頭で考え始め、自分の生きる道を模索し始めなくてはならないわけだ。こうして、彼らは物事の判断力をも養っていくと思われる。知育偏重と個性尊重という欺瞞に満ちた戦後教育によって育てられた我が国の若者の、これが実像だと私は考えている。
 ならば、選挙権をどうしろと? 決まっているではないか。18歳に引き下げるのではなく、大学全入のこの時代、せめて22歳に引き上げればよい。そのことに何の不都合があるか。私は未だ嘗て納得のいく説明を聞いたことも読んだことも無い。
 平等や公平ほど、曖昧で取りとめのない概念はない。18歳に引き下げるなら、17歳ではなぜいけないのか。19歳ではいけない根拠は何か。確かに、年齢での輪切りは、簡便であり、20歳でなければ18歳というのも、色々理屈は付けられよう。一方、凶悪犯罪の低年齢化を考えると、逆の発想も否定は出来なかろう。ならば、投票権年齢引き下げ同様、引き上げもまた議論されてしかるべきではなかったか。
 ついでに、引き下げに伴う昨今流行の高校における「模擬投票」等々の「教育」だが、18歳を前にそれが必要なら、今まで、なぜ20歳を前に大学で同じことをしなかったのか。あんなものまやかしのオママゴトに過ぎぬ。「模擬投票」の美名に隠れた日教組の洗脳でないことを祈るのみ。夏の参院選で惨憺たる結果が出ないことを念じている。
 次回(その2)、年齢に拠らぬ「平等」について一つの「暴論」を提案する。