公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2016.10.05 (水) 印刷する

「トランプだと中国は困る」は都市伝説 富坂聰(拓殖大学教授)

 ヒラリーかトランプか――。米大統領選挙を前に日本では新政権のアジア政策を心配する声が高まっている。私もよく「トランプだと中国も困るのでは?」と訊かれ戸惑う。「誰が大統領でも困らない対策を講じるのが中国の外交戦略」であり、日本のように外交の吉凶を大統領の個性に委ねたりしない。ちなみに「中国の海洋進出はオバマの弱腰による」というのも都市伝説で、中国人に言えば、みな笑う。
 中国が海洋進出を前進させるのは2008年の北京オリンピックの年。軍幹部を集めた重要会議を経て最終決定している。その後、訪中(翌年3月)した日本の浜田靖一防衛大臣に梁光烈国防部長が「空母保有の意思」を明言する(拙著『平成海防論』)という流れだ。米国の出方は注視したと思うが「オバマだから」という要素はない。第一、中国人から見たオバマ外交は十二分に厳しい。「海軍艦船の60%をアジアに」シフトさせるリバランス政策もそうだが、極めつけは韓国への配備を急ぐ最新式地上配備型ミサイル迎撃システム、THAAD(以下、サード)だ。
 サードの衝撃は、朴槿恵政権の誕生から続いた中韓の蜜月関係を一瞬にして吹き飛ばした。
 一部には「(サードは)朴氏が対北朝鮮政策で習近平政権に失望したから」との解説もある。だが韓国経済の対中依存は相変わらずで、中国との対立は即韓国経済の減速につながる。政権基盤を直撃する経済を犠牲に習氏への意趣返しなどするだろうか。しかもサードは高高度迎撃システムで、北朝鮮が得意な長距離砲や改良型スカッドの攻撃には無力だ。射程200キロではソウルも守れない。
 他方、Xバンドレーダーとセットで運用されるサードが米国と米軍を中国とロシアのミサイルから守る効果は絶大である。それがポーランド、ルーマニアの基地と連動すればなおさらだ。
 では、なぜ韓国はそんなサードの配備に踏み切ったのか。一説には米国の有無を言わせぬ圧力があったとされる。なかには韓国軍の運用する兵器へのデータサポートを人質に配備を迫ったという話も聞かれる。
 米軍の迎撃ミサイル戦略は、中国の目には日本の低高度、日本海の中高度と合わせサードが「最後のピース」となったと映る。安全保障環境の強化と同時に中韓関係をも破壊する米国の攻勢を前に中国は終始守勢だ。
 米中の間に挟まれた韓国は、Xバンドレーダーのカバー範囲を「600キロとするから」と中国に理解を求めたが、実際の運用が韓国軍にないことを理由に中国は一蹴した。サード騒動はいみじくも米韓の安全保障上の利害の隙間を露呈したが、これは日本にとって対岸の火事ではない。米軍の利害と日本の安全保障は常に一致しているわけではない。大統領が誰であれ、その差は日本自身が埋めていかなければならないものだ。いうまでもなく「ヒラリーでよかった」なんて安全保障はないということだ。