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2016.11.15 (火) 印刷する

可能性なしとは言えぬ朴氏の逆転ホーマー 荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授)

 韓国が揺れている。
 すでに報道されているのであらためて説明する必要もないだろうが、知人女性にまつわるスキャンダルでソウルでは大規模な朴槿恵大統領退陣要求デモが起き、韓国マスコミは連日、朴大統領叩きに狂奔している。
 最近では日本からJR東日本労組とか動労の組合員が訪韓してこのデモに参加している。朴大統領と安倍晋三総理をセットにして退陣を求めているのである。朴氏については政権支持率も急降下して、残り1年余の任期を乗り切れるかどうかですら不透明な状態だ。今の韓国はひょっとしたら北朝鮮より前に崩壊するのではないかとすら思える。

 ●大規模デモの背後に北の影
 しかし、冷静に考えてみれば、権力にまつわる蓄財や特権の享受は、韓国ではこれまで常につきまとってきたことだ。大統領演説の原稿が事前に流出してインサイダーに使われるというのも昔からあったという。いや、怪しげな宗教者との関係なども含めこの種のことは良し悪しを別として日米も含め大なり小なりどこの国でもあることではないか。ちなみに1998年から2008年に至る金大中・盧武鉉政権は北朝鮮に近かった。当時韓国から北朝鮮にカネや情報が流れていたことは周知の事実である。韓国にとっての危機という意味ではこちらの方が遥かに問題であるはずだ。
 直接見たわけではないから断言はできないが、聞いている範囲では今回のデモは非常に組織化されている。付和雷同的に加わっている人間もいるようだが、デモのやり方の指示とか注意とか、あるいは歌まで書いたビラを見る限り明らかに司令塔があって行われていると思われる。
 このようなデモで思い出すのは前職の李明博大統領就任直後に起きたBSE(牛海綿状脳症)騒ぎである。韓国の放送局が人気番組の中で米国産牛肉を食べるとBSEにかかると報道し(後にそれは事実無根であることが分かる)、それをきっかけに李明博退陣を求める大規模なデモが行われたのである。金大中・盧武鉉政権が終わり保守政党に政権交代した後のことだ。

 ●トランプでも難しい米朝対話
 さて、今北朝鮮は行き詰まっている。度重なるミサイル発射や核実験で国際社会も手をさしのべようがない状況だ。そのまま北朝鮮にいても地位が保証されている層から脱北者が出ているのも沈む船から鼠が逃げ出すようなもので、末期的症状の象徴と言える。
 8月末に中朝国境近くの両江道や咸鏡北道で起きた大水害は、未だに十分な復旧に至っていない。国境警備隊の施設が流され武器が流出して、救援よりその武器を回収するので大わらわだそうだ。その地域には金正恩は怖くて視察にも行けない。切迫した状況が韓国にシンクロして親北勢力主導の反政府運動につながっているのではないだろうか。
 北朝鮮の国家方針は対南赤化統一であり、国家のシステムは基本的に南朝鮮(韓国)を解放(共産化)するためのものである。もちろん、現在の朝鮮人民軍がどんなに頑張っても韓国全土を占領することは不可能だ。いや、現在というより朝鮮戦争休戦の時点で全面的武力南侵の可能性はなくなっているのだが、体制を守るためにはそれを維持するしかないのである。
 朝鮮戦争後、北朝鮮は特に2つのことに注力してきた。1つは米国との直接交渉。これは米朝関係を改善して在韓米軍の撤退を実現することに目的がある。そしてもう1つは韓国内部への工作である。南侵を始めたときに韓国側から民衆が求めたという形にし、「民族内部の問題」として米国が参戦できないようにするということだ。
 金日成は朝鮮戦争のとき、この2つについて判断ミスを犯した。米国が参戦せず、南侵すれば南の民衆が呼応すると信じて開戦に踏み切ったのだ。そして失敗したのだから、この問題をクリアしなければ南を併呑することはできないと思ったのだろう。
 この方針は今日まで継続されている。しかし前者については成功していない。トランプ米次期大統領は直接交渉の可能性も語っているからどうなるか分からないが、ミサイルや核の問題で米朝の話がまとまるとは思えない。問題は後者である。

 ●カギ握る現状の冷静な判断
 1987年の大統領選挙に至る「民主化」以降、韓国の中には次第に親北左翼がその居場所を広げて行った。世界中で左翼が時代遅れになる中でそれまで「反共」が旗印だった韓国で左翼全盛期が訪れるというのも皮肉な話だが、北朝鮮の韓国内への工作活動は概ね成功したと言える。
 今回の朴槿恵退陣を求める動きには、崔順実らの権力に近いことを利用した蓄財とか特権への批判があり、それゆえ一般にも共感を持って受け入れられているのだが、そこには正義感だけでなく「自分がやりたくてもできないのに、あいつらがなぜ」という嫉妬心も作用している。いずれにしてもそのような意識をすくい上げて組織的な行動に持っていける親北勢力の力は決して侮れるものではない。
 さて、これからどうなるだろうか。もし朴槿恵大統領がこの現状を冷静に判断できるなら、強硬策を持ってでも突破するだろう。北朝鮮はおそらく動き始めたシステムを制御できない。南が混乱すれば「対南赤化統一」に向けたシステムは自動的に動き始めるだろうし、現在のデモはその一環かも知れない。しかしそうなれば逆に北朝鮮内部の矛盾も大きくなっていく。南北はシンクロして事態が動く。北朝鮮が小規模な武力侵攻でも行えば韓国の世論は一変するはずだ。現時点で可能性は低いが、北朝鮮の動きによって朴槿恵大統領が起死回生の逆転ホームランを放つ可能性もないとは言えないのである。