長年中国の庇護下にいた北朝鮮の金正男氏がマレーシアの空港で殺害されてから2週間が過ぎた。北朝鮮の工作員らが暗殺を主導したことが地元警察の調べで明らかになった。全容はまだ解明出来ていないが、常識的に考えれば、正男氏の異母弟、金正恩氏が指示したことはほぼ断定できる。古今東西繰り返されてきた独裁者一家の骨肉の争いが再現された形だが、メンツをつぶされた中国の反応が注目された。
事件直後、中国が北朝鮮からの石炭輸入をストップしたため「中国が激怒している。北朝鮮に対する本格的報復を始めた」といった観測が日韓メディアに流れた。しかし、その後、北朝鮮の李吉聖外務次官が訪中し、中国の王毅外相ら要人と会談するなど、中朝間の対立が深まったという気配はない。
石炭を止めた理由について中国は、「国連決議に従い、核実験を実施した北朝鮮に対する制裁の一環だ」と発表している。過去のデータを調べると、中国はほとんど毎年、2月中旬に北朝鮮からの石炭輸入を中断、もしくは減量している。春に向かって暖かくなり、中国国内における石炭の需要が減少することが背景にあると指摘する声もある。石炭の輸入中断と正男氏の暗殺事件を安易に結びつけるべきではないかもしれない。
●想像を超える中朝のパイプ
そもそも北朝鮮が中国のメンツをつぶしたことは今回が初めてではない。以前、特派員として中国に駐在していたとき、筆者(矢板)も中朝関係に関する記事で見立てを間違ったことがあった。
2009年4月、北朝鮮は中国の反対を無視してミサイル発射実験を強行し、中国が主導する6ヵ国協議からの離脱を発表した。さらにその翌月、中国への事前通告をせずに核実験を実施し、話し合いを通じて北朝鮮の核問題を解決すると宣言した中国に国際社会で大きな恥をかかせた。その直後、中国外務省の朝鮮問題担当の幹部と食事する機会があり、その幹部が顔を真っ赤にして「あいつらは許せない」と怒っていたことが印象的だった。
中国がすぐに北朝鮮に対する一連の制裁を発表したことを受け、筆者だけではなく、当時、ほとんどの外国メデイアは「中朝の本格的な対立が始まった」とする分析記事を書いた。しかし、その後、中国の制裁はほとんど骨抜きにされ、実施されていないことがわかった。
同年10月、当時の温家宝首相が、平壌で開かれる「中朝友好年」の閉幕式に出席するため訪朝すると発表されたときは本当に驚いた。中朝間には、われわれ外国人記者の想像を超えた太いパイプがあることを思い知らされた。
今回の正男氏殺害事件を受け、中国メデイアは当初、「金正男」の名前を出して報道したが、北朝鮮側が「死者は正男氏ではない」と発表すると、中国の官製メディアは一斉に「死者は北朝鮮国籍の男性」と表記を変更した。中国はいまだに北朝鮮に配慮していることがうかがえた。
●関係回復の“邪魔”な存在に
中国が正男氏を庇護するようになったのは2000年頃からだといわれる。父親の金正日氏から依頼され、引き受けたとの情報もある。以降、中国の対北朝鮮外交の重要な切り札となった。父親の金正日氏が健在だった時代には“人質”的な側面があり、正恩氏の時代になってからは朝鮮半島での有事や中朝対立に備えるため、「いつでも首をすげ替えられるトップ候補」といった存在となった。
しかし、正男氏を庇護していることは正恩氏の対中不信を募らせ、中朝関係悪化の一因ともなった。金正日氏は生前、頻繁に中国を訪問したが、正恩政権になってからは一度もトップの訪中がない。「正男氏の存在が、正恩氏訪中が実現しない大きな理由となっている」と指摘する声がある。
中国に対し大きな不信感を抱いている正恩氏は、自分が中国の土地に足を踏み入れた瞬間に拘束され、中国が自分の兄を北朝鮮に戻して擁立することを警戒しているためだという。2013年末、北朝鮮政権内の実力者、張成沢氏が処刑された理由の一つは「中国とひそかに通じ正男氏擁立を企てた」ことだとされている。
張成沢一派が粛清されたことによって、北朝鮮内における正男氏を支持する勢力はほぼ無くなった。中国にとって、正男氏を守る意味は小さくなり、むしろ中朝関係の回復にとって“邪魔”な存在となりつつあったようだ。2014年ごろから中国側は、正男氏を守る警備要員を大幅に減らし、資金提供も中断したとの情報もある。
正男氏が今回マレーシアに渡ったのは、ビジネスのためといわれており、格安航空券を利用したとも報じられている。懐具合はかなり苦しい状況にあったと想像できる。また、殺害された当時、周辺に警護要員らしき人物は全くいなかった。
●注目される正恩氏の訪中
米軍の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国への配備決定で、昨年から中韓関係が悪化した結果、中国共産党内では北朝鮮との関係修復を求める声が高まっている。このタイミングで正男氏の暗殺が起きたことは、中国はすでに正男氏を見捨てており、暗殺を黙認した可能性も否定できない。
今後、国際社会の目もあり、中朝間の表面上の緊張はしばらく続くとみられるが、正恩氏訪中の最大の“障害物”が取り除かれたことで、中朝にとって、いつでも急接近することが可能になった。金正恩氏の訪中はいつ実現するのか、注目される。