5月3日の安倍首相による憲法改正提案、とりわけ憲法第9条の改正については大きな反響を呼んだ。今回の安倍提案には大賛成であり、何としても実現してほしいと願っている。その立場から、私の思うところを3点ほど記させていただく。
●求められるのは「政治的」に考えること
私はゴルフをすることはないが、憲法改正に向けた我々の立ち位置を、最近はこのゴルフの喩えをもって話すことが多い。ゴルフの第1打、第2打は力任せに遠くへ飛ばすことをもって良しとするが、そのボールが幸いグリーンに乗った場合、今度は打ち方を根本的に変えねばならない、ということだ。つまり、次はカップインが至上命題となり、全神経を集中させた正確なパットが求められるのである。
私の言わんとするところはお分かりいただけよう。いよいよ目標が目前に見えてきたとなれば、攻め方も根本的に変えねばならないということだ。それまでは思い切った力強いショットが売りだったかも知れない。しかし、これからは、ひたすら正確なパットを打つことが至上命題となるのである。
安倍首相がこれまでの自民党改憲草案を封印し、9条の「加憲」も含む4項目を提案したのも、こうした新たなフェーズを意識してのことであろう。あえてこれを評すれば、理論としての完璧性はひとまず措き、今はひたすら「実現可能性」に焦点を据えるということだろう。賛同者の最大化、国民投票での国民へのアピールのしやすさ、といった要素も同時に考えなければ、これから勝利への道は開けない。ここは「理論的」に考えるよりも、「政治的」に考えることが求められるのだ。
●自衛隊が「憲法上の存在」になる意味
むろん、そうはいっても、この9条「加憲」が単なる自衛隊の現状追認でしかないとすれば、それは現状の固定化にすぎず、そんなものに意味はないとの指摘も出てこよう。しかし、衆参両院での3分の2以上による発議という高いハードルを前提に考えれば、この9条「加憲」以外に実現可能性のある案は、おそらく現状ではないと私は考える。この案を否定するのは自由だとしても、その場合は、自衛隊が現状のまま固定され続けるだけだ。
私は、この9条「加憲」は単なる現状追認には終わらないと考えている。確かに、現在の政府解釈は動かさないと約束している以上、自衛隊がもつ「権限」においては、「自衛隊は軍隊ではない」という現状がそのまま維持されよう。これは誠に遺憾なことではあるが、ただ私が言いたいのは、自衛隊の「地位」は大きく変わるということだ。
これまでは、自衛隊を違憲とする主張が陰に陽に根強く、それが様々な場で自衛隊の正当性を傷付け、立場を弱めてきた。しかし、自衛隊が憲法上の正当な存在となれば、さすがにこうした議論は成り立たなくなる。自衛隊を「人殺し集団」とののしったり、難癖をつけて公的な場から自衛隊を閉め出したりすることは、これこそが憲法違反になる。
●「国家自立の意思」を明記する意義
それだけではない。私がもう1つ付け加えたいのは、この「加憲」で、「日本国民がこの日本の平和と安全のために自衛隊を保持する」という趣旨が加わることにより、これまで他国にあってわが国の憲法には欠落していた、「国民は全力を挙げて国家の存立を確保する」という「国家自立の意思」を、初めて実質上憲法に明記できるという事実だ。これについては、ほとんど誰も指摘しないが、実に意義のあることではなかろうか。
私は、「平和、民主主義、人権」を大切にすることにかけては、人後に落ちるものではないが、どうすれば、この「平和、民主主義、人権」を「持続可能」にできるのか、具体的に考える必要がある。
憲法前文は、それを「諸国民の公正と信義に信頼して」と、人任せにする。しかし、現行の9条に「国民の力でそれを守る手段を保持する」という趣旨の文言が新たに加わるということは、単なる現状追認に留まらない画期的な意味がある。私はそう考えるのだ。
むろん、憲法改正は1回と限られるものではない。これが成功し、護憲派の言うような危険なものではないとわかれば、更なる改憲の機会も早期に訪れよう。その時には、今度こそ国民の理解を得つつ、今回はダメだった内容に再チャレンジすることもあり得るのではないか。私は今回の安倍提案をそのような思いで受け止めている。