公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2018.01.09 (火) 印刷する

江藤淳の9条解釈を弁護する 斎藤禎(国基研理事)

 旧臘26日付産経新聞の「正論」欄で、憲法学者の百地章氏が「『9条2項』改正派に誤解はないか」と訴え、次のようにお書きになった。
 <故江藤淳氏も同様で、「交戦権の否認」は「主権の制限」であり、これによってわが国は「自衛権の行使」さえできなくなった、と誤解していた(同『一九四六年憲法-その拘束』)>
 江藤淳の『一九四六年憲法―その拘束』は、『諸君!』1980年8月号に掲載されたが、憲法論議が人々の耳目を集めている今日、発表以来37年余を経て斯界の権威によって議論の対象になったことは喜ばしい。

 ●百地氏の解釈にこそ誤解がある
 だが、この論文の担当編集者だった者の目には、江藤が言わんとした主眼は、百地氏が「誤解」と解釈したところとはまた違うところに存するような気がしてならない。江藤は、論を閉じるにあたって、
 「私が提起しようとした問題は、ごく単純な問題である。私は、歴史的経緯からして憲法第九条二項が“主権制限条項”であることを指摘したにすぎない」
と書いた。
 江藤は、1979年10月から9か月間、米ワシントンD.C.所在のウッドロー・ウィルソン国際学術研究所に国際交流基金の派遣研究員として滞在した。江藤のテーマは、連合軍(実質的にはアメリカ軍)が占領期に執拗なまでに実施した検閲の研究にあった。
 その成果は、吉田滿の『戦艦大和ノ最期』の初出テキストの発掘を嚆矢とし、『一九四六年憲法―その拘束』、『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』、『忘れたことと忘れさせられたこと』等にまとめられたが、渡米早々、江藤は、メリーランド州にある合衆国国立公文書館分室で一葉の資料を見つけた。
 その資料とは、連合国軍総司令部(GHQ)配下のCCD(民間検閲支隊)の「検閲指針」だった。全30項目よりなるが、冒頭の4指針はことに“言論の自由の国”アメリカに相応しからぬ内容になっている。すなわち、①SCAP(連合国最高司令官あるいは総司令部=GHQ)に対する批判、②極東軍事裁判に対する批判、③SCAPが憲法を起草したことに対する批判、④検閲制度への言及等の一切の禁止、というものだった。

 ●文学者・江藤が求めた改憲の真意
 検閲が憲法起草にも及んでいたことを理解した江藤は、『一九四六年憲法―その拘束』をものした。発表当時、この論文は憲法学者たち(特に革新側)から、「そんなことは誰もが知っている」と一蹴された。
 しかし、江藤の書いた論文の表題は、『一九四六年憲法―その成立・・』ではなく、『―その拘束・・』である。徹底的な検閲のもと、秘密裡に占領軍によって起草された現憲法が、戦後日本の言語空間、思想空間を如何に歪める元凶となっているかを見究めようとしたものだった。
 江藤は、1946年2月3日に連合国軍最高司令官が示したいわゆる「マッカーサーノート」の“戦争放棄条項”に注目した。すなわち、「日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(略)日本軍に交戦権が与えられることもない」(傍点引用者)という部分である。
 この背景には、またいつか日本がアメリカを攻撃するのではないかというマッカーサーの不安と不信が存在する。が、GHQのホイットニー民政局長らの憲法起草者は、自衛権の否定は、国家主権そのものを否定しかねないという理由でこの条項を削除した。交戦権という字句は第9条2項にそのまま残った。「マッカーサーノート」の亡霊は、戦後日本の言語空間を呪縛し、いまだに徘徊し続けているのである。
 百地氏の26日付「正論」の前提となっているのが、江藤が改憲論者であったということだが、江藤は開高健との対談(『文人狼疾ろうしつス』)で、「僕は憲法改正論者なんだ。改正論者というのは、まずもって文体上の改正論者いう意味だけれども」と語ったが、これは文学者としての発言だ。60年安保の時、「若い日本の会」活動に参加し辛酸を甞めた江藤は、その後、政治的活動とは縁を断っている。

 ●占領期検閲による悲惨からの脱却
 アメリカから帰国した9か月後(1981年4月30日)、江藤は日本安全保障協議会で講演(「現行憲法の矛盾」)をしている。江藤は、語る。
 「(第9条2項の)『前項の目的を達するために』という芦田修正が戦力条項と交戦権条項の両方にかかっているという解釈を行うのか。これは途中に句点がありますが、日本語の句読点というものは本来文章を読み下すときの便宜上の記号であるという国語学上の議論も成り立ち得ますから、芦田修正は2項全体にかかり、日本は当然交戦権を持っているという有権解釈を行うのか。/この間民社党と自民党内の一部から出ていた国会決議という中途半端な形で自衛隊合憲を確認するのはむしろマイナスで、司法府による明確な有権解釈が必要であろうと思われますが、そういう手続きをいつかはお取りになるのかどうか」
 百地氏からは無知と冷笑を浴びてしまった形だが、江藤の現行憲法への考究は、占領期の検閲が歪めてしまった言語空間がいまだ毀損し続ける国としての誇り、「マッカーサーノート」に象徴される国家主権の制限と自衛隊の尊厳の否定、こうしたいわば国家としての悲惨からの脱却を企図したものではないかと、元担当編集者は愚考している。