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2019.03.04 (月) 印刷する

【韓国情勢】存在せぬ歴史づくりに疲れる韓国 西岡力(国基研企画委員兼研究員・麗澤大学客員教授)

 「趙甲済ドットコム」は、韓国保守を代表するジャーナリスト趙甲済氏が主宰するニュースサイトで、韓国保守派の拠点の1つである。このたび、筆者から趙甲済氏に「日韓関係が良くないこのような時期だからこそ、韓国保守派の声をそのまま日本に紹介したい」と申し入れたところ、同サイトの記事を訳載して構わないと快諾をいただいた。
 今回はその第1弾として、韓国の国史編纂委員会が通説を覆す研究成果「三・一運動の参加者延100万人、死者900人」を発表したことについて論じた同サイト会員の投稿を全訳して紹介したい。投稿は2月24日にアップされたものだ。
 三・一運動は日本統治時代の朝鮮で1919年3月1日に起こった独立運動で、国史編纂委員会とは朝鮮の歴史研究のため設立された韓国の国家機関である。

過去の記事はこちら

 ●韓国の通説採用する朝日
 日本のマスコミはまったく報じていないようだが、国史編纂委員会は2月20日、三・一運動の100周年を期して「当時の延参加人数は103万73人、死者934人」という最新研究成果を発表した。
 この数字は当時の朝鮮総督府の発表と近いものだったが、それまでの韓国の通説とは大きく異なるものだった。
 通説は、亡命独立運動家の朴殷植が伝聞情報をもとに自著『韓國獨立運動之血史』で示した「参加人数200万人、死者7509人」。一方、朝鮮総督府による公式数字は「参加人数106万人、死者553人」である。
 韓国の公式数字が発表された直後の2月23日、朝日新聞は「(いちからわかる!)朝鮮半島で起きた3・1独立運動って?」と題した特集記事を掲載し、「朝鮮側の記録によると、約7500人の犠牲者が出たとされる」と通説を採用して書いている。
 また、驚いたことに文在寅大統領とその側近の趙国・大統領首席秘書官は、国史編纂委員会の発表後に、それを無視して従来の通説やその3倍の数字を口にした。すなわち、文大統領は3月1日の演説で「202万名余りがデモに参加し、約7500人の朝鮮人が殺害され、16,000名余りが負傷した」と堂々と語った。 
 趙首席秘書官は2月24日に「死亡者2万人」と途方もない数字を上げた。

 ●韓国保守派には冷静な声も
 以下が「趙甲済ドットコム」会員の投稿だが、冷静な韓国保守派の事実に基づく発言と比べて欲しい。
 <この間三・一運動に関連した韓国の国内統計資料は日帝時代の朝鮮総督府公式統計資料とは非常に差が大きかった。三・一運動100周年をむかえて国史編纂委員会が2月20日、初めて整理されたデータ・ベースを公開した。
 この間は亡命独立運動家の朴殷植が書いた『韓國獨立運動之血史』によれば三・一運動に参加した人は約200万人余りであり、7509人が死亡したとされていた。 日本の集計はこれとは違い、朝鮮総督府の公式記録によれば106万人が参加して鎮圧過程で553人が死亡したと記録されている。
 日帝時代に日本に抵抗して最も多くの死亡者が出た事件が三・一運動であるが、韓国学者は7500人余りが死んだと主張し、朝鮮総督府記録は553人が死んだとしているので、その差は13倍から14倍になる。
 三・一運動100周年を迎えての国史編纂委員会の公式発表は、三・一運動参加人員は79万9017人~103万73人、死亡者数は725~934人だった。日帝時代の朝鮮総督府公式記録と非常に類似する結論だ。すなわち、これまでの間、三・一運動規模を誇大包装するために死亡者数を7500人だとずっと主張してきたが、結論的には1000人以下だったということだ。延参加人員も200万人でなく約100万人規模であった。
 日本という国は100年前の植民地地域で発生した事件に対しても、このように正確に記録していたことを見れば、先進国になることは簡単ではないと思う。
 国権を喪失した1910年には抵抗によるただ1人の死亡者も発生しなかったが、最大規模の死傷者が発生した三・一運動でも1000人以下の死亡者発生だったと今回、結論が出た。 参考として、近くのフィリピンでは1900年前後の2年間のフィリピン・アメリカ植民地戦争でフィリピン人60万人が死んだ後、アメリカの植民地になった。
 朝鮮王朝社会は奴婢が40%であったが、日帝時代になって全員が身分解放された。解放された彼らが日帝に抵抗して独立運動する意欲がどれくらい高かっただろうかと疑問に感じる。
 奴婢であった彼らは朝鮮時代がより良かっただろうか、自由人である日帝時代がより良かったのだろうか。
 とにかく独立運動の記録をいくら贔屓して盛り立てようとしても、微々たる闘争の歴史だったから、私が小学生、中高生だったときには独立運動家の名前をほとんど聞くことができなかった。それが韓国の歴史だ。教科書では青山里戦闘(西岡注:1920年10月、満州東部の青山里付近で、日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織及び中国人の馬賊の間で行われた戦闘)という韓半島の外であった戦闘程度が取り上げられていたことがすべてだった。
 外勢侵略には沈黙した民族が、自分の国民同士で争う気質は世界一ではないかと思う。だから、韓国市場で成功した商品は全世界どこでも成功することができるという話が生まれるのだ。
 存在しなかった歴史を作り上げるのは、庶民が成り金になった時、偽の家系図を作ろうとするかのようだ。1948年に建国した後、裸一貫から今の豊かさを作り上げたその過程の歴史を誇らしく感じるだけでなぜ、自負心を持つことができないだろうか。その過程を不平等の歴史だと主張するため、ありもしない独立闘争の歴史作ろうとする左派のために疲れさせられているのが韓国だ。>