塚田一郎国交副大臣に続き、桜田義孝五輪担当相が失言の責任をとり辞任した。いずれも政治家としての資質を疑わせる辞任劇である。桜田氏は岩手県出身の高橋比奈子衆院議員(比例東北)のパーティーで「復興以上に大事なのは高橋さんだ」と挨拶し、塚田氏は「下関北九州道路」の整備をめぐり安倍晋三首相らの意向を「忖度した」と発言した。
辞任の形をとったものの、2人とも事実上の更迭である。ともにその場を盛り上げるため、調子に乗って口が滑ったのだろうが、自らの発言がどのような結果を招くか、指摘されるまで気付かなかったというのは、国政を預かる政治家としてあまりにもお粗末だ。
●方向誤った「政治改革」
リクルート事件が政界を揺るがす中で幕を開けた平成の30年間には、「政治改革」の名の下に衆院への小選挙区制導入や政党助成制度の創設などが行われてきた。中選挙区制の時よりも政治と金の問題は少なくなったともいわれるが、その一方で、個人の能力よりも「風」に乗るだけで議席を得るような議員が増えた気がする。この議員たちが当選回数を重ね、入閣「適齢期」となって今日の事態を迎えている。
昨年秋の自民党総裁選で3選を果たした安倍首相は、政権としては最多となる12人の新人を入閣させた。総裁選で支持してくれた派閥に対する「論功行賞」である。なかでも二階俊博幹事長が率いる二階派は2人増の3閣僚を送り出した。
二階氏は3選をいち早く支持したことで、安倍首相としても配慮せざるをえなかったのだろう。自らが自民党への出戻り組である二階氏は、他派閥、他党からの鞍替え組も含めて派閥を拡大し、「適齢期」の議員を多く抱えている。辞任した桜田氏もその一人だ。
小選挙区制となって、派閥は総裁の座を争うための集団というよりも、閣僚などのポスト獲得を目指す互助組織の色彩が強まった。二階氏としては派閥の領袖としての力を見せるためにも、1人でも多くの議員を入閣させることが至上命題となっている。これは二階氏に限らない。
●議員立法で能力向上図れ
一方で、若手議員らに政治の仕組みや政策立案を教える「教育機能」としての派閥の力は弱まっている。
かつては特定の省庁、利益団体に太いパイプを持つ「族議員」の弊害が批判されたが、サイバーセキュリティ担当相でもあるのに「パソコンを使わない」と恥ずかしげもなく答弁した桜田氏や、北方領土について「素人」と認めた江崎鉄磨前沖縄北方担当相など、門外漢が起用されるケースが少なからずある。
専門知識もないまま閣僚になると、江崎氏が述べたように「しっかりお役所の原稿を読む」とする官僚に依存だけの存在になってしまう。政権与党として責任ある立場にある自民党に求められているのは、当選回数や派閥均衡による人事ではなく、議員個人の立法能力を高めることであろう。
田中角栄元首相は46本の議員立法を提案し33本を成立させた。生前、ジャーナリスト、田原総一朗氏のインタビューに「法律というのは生き物です。使い方によって変幻自在。法律を知らない人間にとっては、おもしろくない一行、一句、一語一語が、実は大きな意味を持っている。すごい力を持っている。生命も持っているんだ」(『対峙』扶桑社新書)と述べている。
議員立法の数を競い、それを入閣の条件とするぐらいに変えていくべきだ。このまま派閥領袖の要望に流されていると「第2、第3の桜田」が出て、国民の政治不信を高めるだけだろう。