公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.04.22 (月) 印刷する

憲法改正では明確に天皇を元首に 髙池勝彦(弁護士)

 御代替りに伴つて、新しい年号が「令和」と決つた。新しい時代を予感させる清々しい年号である。年号発表については、新天皇即位の5月1日ではなかつたことなどの批判がなされた。
 年号発表ばかりではなく、今回の御代替りに関連して、妙な憲法の解釈が横行した。たとへば、今回の御代替りは、平成28年8月4日の今上陛下の「お言葉」がきつかけであることは間違ひないのに、譲位といふ言葉を使ふと、憲法違反となるから、生前退位といふ。
 なぜなら、現在の皇室典範では天皇は終身制となつてをり、譲位を認めると皇室典範御改正や特別法の制定が必要であり、天皇の要請により、法律改正が実現したことになるから、これは、天皇の国政関与を認めることになり、憲法違反となるからといふのである。

 ●「生前退位」の姑息な議論
 しかし、生前退位といつたところで、法律改正が必要となるのは同じであるから、この議論は意味をなさない。また、譲位といふと、天皇の意思により皇位を譲るといふことになつて、やはり憲法違反となるといふのである。これも実態からいへば、天皇の意思により皇位の継承が実現したのであるから、それを取り繕ふことは姑息な議論と言はざるを得ない。今回の御代替りはあくまでも譲位である。
 憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とし、国事行為については、第7条に、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とあり、この国事行為は限定的であると解釈されてゐる。また、憲法第3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とある。
 天皇の行為には、国事行為以外に当然純然たる私的行為がある。しかし、この2つの中間の行為もありうるので、象徴としての行為とか公的行為と呼んで、国事行為に準じて内閣の助言と承認を要するとするのが通説である。

 ●歴史無視の形式的解釈は誤り
 天皇の「国政に関する権能を有しない」という条項を、なるべく狭く解釈するのが現在の憲法学者の通説である。しかし、この条項はよくいはれてゐるやうに、「国王は君臨すれども統治せず」の規定であつて、これは国王が専権を振つて国民を弾圧したヨーロッパの歴史的産物であり、我が国の実態とはまつたく合はない。
 戦前の憲法下でも、天皇が国民と対立して国民を弾圧したことはない。ついでにいへば、政教分離条項に関する規定についても、ヨーロッパの国家と宗教の癒着による国民弾圧の歴史から生まれたものであつて(現代でもイスラム圏の国家と宗教の癒着を見よ)、我が国にはそのやうな歴史は、少なくとも明治以降はない。だからといつて、私は、憲法4条や政教分離規定のやうな条文が憲法に不要だとは思はないが、歴史的状況を無視した形式的な解釈は誤りである。
 法律の条項をなるべく狭く解釈しようとすることを縮小解釈といふが、憲法にはそれが甚だしい。

 ●敗戦後遺症の解釈から脱却を
 GHQの草案作成時に必須の3原則とされた、いはゆる「マッカーサーノート」の第1に、「天皇は元首である」と明確に述べられてゐるのに、条文に元首といふ言葉がないからとして政府は、明確には天皇は元首であるとはいはない。外国から元首として扱はれてゐるなどと訳の分からない説明をする。憲法学者の多くは、元首は、内閣又は内閣総理大臣であるなとといふ。
 第7条の「内閣の助言と承認」についても、通常の言葉の解釈では、助言は、内閣の方から天皇に国政に関することを助言することを意味し、承認は、天皇の方から何か示唆があつた時に内閣が承認することを意味する。
 しかし、そのやうに解釈すると、天皇の方から国政に対する関与を認めることになるから、「助言と承認」を一体のものとして解釈し、天皇の方からの示唆などは認めないといふのが、憲法学者の通説である。
 以上のやうな解釈は、いづれも敗戦後遺症といふべきものであつて、それを払拭するには憲法の全面改正が必要であるが、敗戦後遺症がある限り、改正してもまた変な憲法ができる可能性がある。常識に立ち返つて、普通の国の憲法(君主が元首であり、つまり立憲君主国であり、軍隊がある)を作る必要がある。